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Friday, September 04, 2009

Dr. Yasunori Takazane's Speech on August 9, 2009, in Nagasaki 2009年8月9日長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会メッセージ


Dr. Yasunori Takazane, Director of Oka Masaharu Memorial Nagasaki Peace Museum, also represents the Association for Advocating Human Rights of the Zainich Koreans in Nagasaki. Every year on the early morning of August 9th, Dr. Takazane gives a keynote speech at the memorial ceremony held in front of the monument for Korean A-bomb victims in Nagasaki. Here is Dr. Takazane's speech on August 9, 2009. This is in Japanese only, but hopefully we will post the English and Korean versions or summaries soon. We, the group of Ritsumeikan University, American University, and Canadian university students attended this early morning ceremony.

長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会メッセージ

 今日八月九日、私たちは爆心地公園に集い、朝鮮人原爆犠牲者の無念の死に思いを馳せています。造船所で、兵器工場で、製鋼所で、そして至るところでの土木工事で炎天下裸同然で強制労働を強いられていた朝鮮人は二万数千人を数え、一万人余が犠牲となりました。懐かしい故郷の山河から遠く長崎まで強制連行され、日本の侵略戦争と米国の原爆投下の犠牲となった恨(ハン)は国を奪われた民としてどれほど大きかったことでしょう。肉親を思い、生きて帰りたかった心情にどれほど思いを馳せても足りません。無差別大量虐殺である核兵器の使用は人類への敵対行為であり、永遠に批判されなければなりません。しかし、朝鮮人原爆犠牲者の無念の死を思うとき、私は徐正雨(ソ・ジョンウ)さんの言葉を忘れることができません。彼は一四歳で強制連行され、原爆に遭い、原子野の惨状のなかで死体や瓦礫の処理を命じられましたが、「原爆でも落とさなければ日本は戦争を止めなかったでしょう」と幾度も言われました。戦後は入退院を繰り返す病弱の身で、被爆がその直接的な原因であったにせよ、炭鉱や造船所での強制労働が人生を台無しにした真の原因であることを見逃さなかったのです。「原爆も差別を焼き尽くさなかった」とも言われました。二〇〇一年八月二日、七二歳で病死されたとき、侵略と差別を告発し続けた氏の願いが達成されなかったことを日本国民の責任として恥じずにはいられませんでした。

 被爆から六四年を経過した今日、日韓、日朝関係を顧みるとき、現状の把握と今後の方向について見解が大きく分かれ、予断を許さない事態に直面しております。しかし、日本の戦後が朝鮮侵略の反省の上に立ったものでなかったことは明白であります。韓国併合を合法と開き直り、南北分断に侵略の自己責任を認識することさえなく、冷戦構造を逆手に取って分断の固定化に狂奔したといって過言ではありません。とりわけ日朝関係においては終始敵視政策を取り、南北融和にも冷淡な視線を送り、未だ国交さえ持ちえない状態を是認しております。六カ国協議が査察問題をめぐって暗礁に乗り上げたのも、朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮共和国と言います)に対する日本政府の敵視政策の結果といわざるをえません。オバマ政権の誕生とともに朝米関係の好転が期待されたものの、朝鮮共和国の人工衛星発射を<ミサイル発射>と決めつけ、国連および日本独自の制裁強化に走ったために、朝鮮共和国は再核実験に踏み切りました。ただならぬ事態に衝撃は大きく「いかなる理由があろうと許されない」という批判が渦巻いています。しかし、核保有国や「核の傘」に頼っている側からのこうした批判にどれほど説得力があるでしょうか。私は朝鮮共和国が繰り返し表明している「朝鮮半島の非核化」という目標にこそ着目し、この目標の実現に世界は一丸となって努力すべきだと考えます。残念ながら現実は朝鮮共和国を一方的に非難し、この目標を遠ざける方向へ動いています。とりわけ日本政府は独自の制裁措置を強化して、敵視政策を露骨に推進し、武力衝突をも辞さない態度であることは明らかです。またメディアの論調もほぼ全面的に制裁論に塗りつぶされ、客観報道と冷静な論評という使命を放棄した事実は、かつての大政翼賛を想起させる異常な事態といわざるをえません。そもそも六カ国協議とは何だったのでしょうか。「相互尊重と平等の精神」を謳った「朝鮮半島非核化のための共同声明」(二〇〇五年九月)を蹂躙したのは誰でしょうか。原子炉の稼働を停止し、使用済み核燃料棒の再処理を中断した朝鮮共和国の合意に満足せず、二国間で解決すべき拉致問題を持ち込んで「行動対行動の原則」を守らず、非核化に焦点を絞った協議の進展を妨げたのは日本に他なりません。国連安保理の「議長声明」や「決議」による制裁を米国と一体となって強力に推し進めたのも日本であり、自らは米国の「核の傘」に安住して常時多数のミサイル発射が可能な態勢を堅持しながら、国際法を順守した人工衛星の発射さえも<ミサイル発射>と決めつけて単独制裁まで加えたのは、朝鮮共和国の反発を見越した挑発行為といって過言ではありません。ここには明らかに冷戦構造が存在します。この冷戦構造を脱却するには「敵対より対話」の道を選択する以外にありません。そして、この道を真剣に追求するならば、東北アジアの非核化も実現することができるものと確信します。この危険な冷戦の原因は朝鮮共和国に対する日米の敵視・挑発行為にあることをしっかりと認識する必要があります。オバマ大統領のプラハ演説が歓迎されている反面、米朝関係に関するかぎりオバマ・クリントン路線はブッシュ政権末期よりいっそう好戦的・挑発的であり、私は深く失望しました。この状況下にあって、このほど朝鮮共和国はクリントン元大統領の訪朝を受け入れ、拘束中の二人の米国人記者を特赦・解放しました。私はこの決断を高く評価するとともに、オバマ政権がこれを機に敵対姿勢を明確に転換して米朝関係を抜本的に正常化することを切望してやみません。それこそが冷戦に終止符を打ち、東北アジアの平和と安定を構築する絶対条件だからです。

日本の制裁措置は在日朝鮮人を標的にした数々のあからさまな人権侵害を引き起こしており、人道上も批判を免れません。加えて、再核実験後の輸出全面禁止に伴い、祖国の親類縁者への郵送物まで差し止めるに至っては「いじめ」以外の何物でもなく、憲法違反は言うに及ばず、日本という国の品格が問われる由々しき事態であります。日本の核武装論や先制攻撃論を許してはならないのと同時に、迫害にも等しいこうした人権侵害を許さない日本の政治と社会の建設が、現代を生きる私たちに課せられた責務であると痛感せずにはいられません。

私は朝鮮人原爆犠牲者の無念に応えるためにも、次の三点を日本政府に強く要求します。皆様のご賛同をいただければ幸いです。

一、朝鮮共和国に対する敵視政策を撤回し、日朝ピョンヤン宣言に基づき、過去の清算と日朝国交正常化に早急に取り組むこと

一、朝鮮共和国に対する制裁措置と称して、在日朝鮮人の人権を侵害する行為を直ちに中止すること


一、朝鮮共和国在住の原爆被爆者の援護に責任を持ち、被爆者援護法による援護を同国内から申請できる措置を速やかに講ずること


 本日は朝鮮人原爆犠牲者追悼碑建立三〇周年に当たります。この記念すべき集会に、早朝にもかかわらずご参集くださった皆様に心から感謝を申し上げます。


二〇〇九年八月九日


長崎在日朝鮮人の人権を守る会代表 高 實 康 稔

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