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Tuesday, October 26, 2010

和田春樹「日中は尖閣島問題を対話で解決すべき」 Wada Haruki: "China-Japan, Facing Necessity to Dissolve the Conflicts over Senkaku Islands through Dialogue"

Here is the Japanese version of a column written on the disupte over Diaoyu/Senkaku Islands by Wada Haruki, professor emeritus of Tokyo University, "China-Japan, Facing Necessity to Dissolve the Conflicts over Senkaku Islands through Dialogue." It appeared on the October 4th issue of Kyunghyang Shinmoon, a newspaper in Korea.

See the Korean version HERE.

An English version was published on Japan Focus: Asia-Pacific Journal. Click HERE. 

韓国の京郷新聞(キョンヒャンシンムン)に連載している東大名誉教授和田春樹の尖閣諸島問題についての論考の日本語版を掲載します。

韓国語版はこちら。

英語版は『ジャパンフォーカス・アジア太平洋ジャーナル』で発表されました。リンクはこちら。


和田春樹コラム

「中国と日本、尖閣諸島問題を話し合いで解決すべき」


Wada Haruki 和田春樹 - from Kyunghyang
Shinmoon

2010年10月4日
9月7日、尖閣諸島のうちの一島久場島(くばしま)付近の東シナ海で日本の巡視船が中国のトロール漁船に退去をもとめたちところ、この漁船が巡視船と接触衝突を繰り返して逃走をはかったため、停船させ、船長を公務執行妨害容疑で逮捕した事件は大きな波紋をよび、日中関係に激震を走らせた。

尖閣諸島は日本の領土だとして、現在日本が実効支配している。だから、日本の領海内で起こった事件であるので、国内法にもとづいて「粛々と対応するだけだ」とベルリンに滞在中の岡田外相は語った。海上保安庁所属の巡視船は前原誠司国土交通大臣の監督下にある。船長逮捕が前原大臣の承認のもとに行われたことは間違いない。前原氏は中国の政策に批判をもっており、日本は毅然たる態度を示すべきだという考えをもっていた。

新聞各紙の9日の社説は、『読売新聞』が「中国人船長の逮捕は当然だ」、「尖閣諸島は、明治政府が1895年に日本の領土に編入して以来、いかなる国も異議を唱えてこなかった」と強硬であったのに、『朝日新聞』は「争いの海にせぬ知恵を」とよびかけた。「尖閣諸島は、日本が領土と定めて実効支配しているが、中国も主権を訴える敏感なところだ」という認識を示した。『毎日新聞』は「粛々と厳正な捜査を」と書いたが、「事態をエスカレートさせてはならない」とつづけた。中国も台湾も領有権を主張していると認めている。

日本は14日の民主党総裁選挙をひかえて、選挙戦の真最中であったから、政府は事態について何も考えていなかったにひとしい。新聞は中国政府が反日デモの拡大を抑えていることで安心していた様子だった。12日未明に中国の戴秉国国務委員が丹羽日本大使を深夜呼び出して抗議したことで、安心できない気分があらわれ、政府は船長をのぞく14人の釈放に踏み切った。

14日の総裁選挙で親中国とみられた小沢一郎が敗北し、菅直人が勝利した。党の人事、内閣改造に関心が向かった。岡田外相が党幹事長に就任し、後任外相には前原国土交通相が横滑りすることになった。内閣改造は17日に終わった。中国が緊張したのは明らかだった。新内閣は事態を打開する手を打つ姿勢をもたなかった。19日、船長の拘留が延長されることが発表された。拘留の延長は起訴に向かう動きを示していた。ここにおいて中国が激烈な反応を示し始めた。19日夜、閣僚級交流を停止する措置をとり、日本青年1000人を上海万博に招待することを延期した。

20日には、中国で遺棄化学兵器の撤去の仕事に参加している日本の企業の社員4名が逮捕された。そして21日には、ニューヨークに到着した温家宝首相が在米華人との会合で、「釣魚島は中国の神聖な領土である」と宣言し、船長の逮捕は「完全に違法、理不尽」だとして、直ちに無条件で釈放しなければ、中国側はあらたな行動をとる」と予告したのである。中国指導部の中でも日本に対して友好的だとみられていた温首相のこの言葉はまさに衝撃的だった。仙石官房長官は22日「大局的、戦略的な話を含めて、早急にハイ・レベルの話し合いを行いたい」と打ち上げたが、中国側から直ちに拒否された。23日には、中国政府が日本の商社関係者にハイテク商品の製造に不可欠な物資、レアアースの輸出を停止すると通告したことが明らかになった。

中国側のこの強硬な圧力の背後には、日本の国内法で船長が裁かれるという事態をなんとしても回避させたいという意思があった。船長がそのように裁かれれば、尖閣諸島は中国の領土だという主張は完全に否定され、それをはねかえすのには、あるいは軍事行動しかなくなるからであろう。さすがに菅総理、仙石官房長官は、危機の本質を見て、引き返さざるを得なかった。9月24日、那覇地方検察局は船長の釈放を発表した。

こうなって日本政府の外交のまずさを万人が語っている。ここまで来て、圧力を受けて、釈放するのなら、なぜ拘留を延長したのか、期限が切れるところで、釈放すればよかったのではないか、そもそも巡視船にぶつけてきたとしても、国外退去にしてすませるべきではなかったかというのである。しかし、日本政府の行動には、理由がある。前原大臣がくりかえし主張しているのは、日本は東シナ海に領土問題はないとみている、尖閣諸島は日本の領土であり、他国の領土主張は認めないということである。この立場からすれば、船長の逮捕、起訴、裁判は当然だということになるのである。このたびの措置がまずかったとすれば、この認識がもはや維持できないということを意味するのだと考えねばならない。

ここで、尖閣列島問題の歴史をふりかえってみよう。芹田健太郎教授の著書『日本の領土』(中央公論社、2002年)から必要な資料をうることができる。

尖閣諸島は魚釣島が最大の島で、その他七つの小さな島がある。これらの島は琉球王国が中国の册封使を迎え、朝貢使節を送る海上の道の途中にあった。一六世紀の中国の文献に「釣魚島」の名称が出てくることが確認されている。しかし、それらの記述があるからといって、これらの島の領有を主張することができるものではない。国家の領土という観念が生まれた近代において、これらの島がどのように処理されたかが大事である。日本が沖縄を正式に自国の領土としたのは1879年であったが、その後日本は与那国島の北にある無人の島、魚釣島、久米赤嶋、久馬嶋に関心を表した。1885年にはこれらの島を日本領とし、沖縄県に所属させるという提案がなされたが、中国側でも釣魚島など名前をつけている以上、一方的に領有を宣言することははばかられ、却下されたのである。

その後1890年にも、1893年にも、これらの島の領有宣言を求める提案がなされたが、そのつど見送られて、ついに1895年1月14日の閣議決定により、魚釣島と久場島の領有が宣言されるにいたったのである。この時日本は日清戦争で連戦連勝し、海城攻略戦にとりかかった時点であった。10年来躊躇してきたこれらの島の領有宣言をここでしたのは、戦争に負けつつある中国にもはや気遣う必要はなく、戦争が終われば、台湾の割譲も要求することになるのだという判断があってのことだろう。実際下関会談は3月20日からはじまり、4月1日には、台湾全島とそれに付属する澎湖列島の割譲が要求されている。魚釣島などの実効支配は台湾併合の過程の中にまざりあっていくことになった。

これらの島に新しい名称が与えられたのは1900年のことであり、沖縄師範の教師が調査した結果、「尖閣諸島」とよぶことを提案した。これが定着していくことになった。

そして、日本の敗戦後、連合軍総司令官命令で、沖縄は日本の範囲からのぞかれ、当然ながら尖閣諸島ものぞかれた。台湾が中国に返されることは明らかであり、中華民国では台湾を自国領土に編入したが、尖閣諸島を一緒に編入したという記録がないと言われる。尖閣諸島は台湾とともに中国に返されることなく、沖縄を委任統治した米軍がこれを支配した。尖閣諸島に属する二島は米軍によって射爆場として使用され続けたのである。そして、台湾には中国革命戦争にやぶれた国民党がにげこむことになり、中華民国の旗をあげた。本土には中華人民共和国の旗があがった。日本は1951年に台湾の国民党政府と日華平和条約を結んだが、尖閣諸島のことは話題にされなかった。国家の運命が明日をもしれないのだから、小さな島のことなど、国民党政府は言い出せなかっただろう。アメリカの庇護がたよりであってみれば、アメリカが使う島について文句を言える立場はなかった。

それから20年がたって、日本は北京の中華人民共和国政府と国交交渉に進もうとしていた。まさにその直前、1970年12月29日、『人民日報』が釣魚島などは「台湾同様、大昔から中国の領土である」と書くにいたったのである。71年12月30日には、中華人民共和国政府外交部が声明を出し、「釣魚島などの島嶼は昔から中国の領土である」と主張した。しかし、日中交渉は尖閣諸島問題にはいっさいふれることなく妥結して、1972年9月29日に共同声明が出され、日中国交は樹立された。日華平和条約は破棄され、日本と台湾は断交した。さらに6年後、1978年8月18日に日中平和友好条約が結ばれた。その批准書交換のため来日した鄧小平副首相は、尖閣諸島の領有権について、「中日国交正常化の際も、双方はこれに触れないことを約束した。今回の平和友好条約締結交渉の際も同じくこれに触れないことを約束した。・・・こういう問題は一時タナ上げにしてもよい。10年タナ上げにしてもかまわない」と述べたのである。

こういう経過を考えると、日本が尖閣諸島を実効支配してきたのは間違いない事実だが、ここには領土問題、領土をめぐる対立が存在することを否定することはできないことがわかる。中国側は問題をタナ上げしようとして、長い間沈黙してきたが、近年にいたり、中国の国力の飛躍的増大と海洋資源問題の重要性の高まりに合わせて、尖閣諸島に対する主張を公然化させてきたのである。南シナ海での西沙群島、南沙群島に対する領土要求が根拠あるものかどうかは知らないが、尖閣諸島については、日中間の歴史にからんで、中国の主張は微妙なニュアンスを含んでいる。

ことがここまでくれば、領土問題の存在を認めて、お互いの主張を述べあい、それを詳細に検討することが必要ではないか。絶海の無人島をお互いが「固有の領土」だと主張するのは愚かである。歴史の経過をどのように見るのが妥当なのか、議論をつくす。そして解決策を考える。その間は現実的な漁民の動きをどのようにコントロールするか、両国政府が話し合う。そういうやり方が必要である。

東北アジアには領土問題が三つある。北方4島問題、独島=竹島問題、そして尖閣諸島問題である。この三つの問題をロシア、日本、韓国、北朝鮮、中国、台湾、米国の学者を集めて、一括して議論することにしたら、どうだろうか。衝突はさけなければならない。 

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