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Saturday, July 30, 2011

A Canadian Petition for Saving Children of Fukushima カナダ発 福島の子どもたちを守るための署名運動

To sign on-line, please go to the petition form.

Petition for Saving Children of Fukushima

To:
His Excellency Kaoru Ishikawa, Ambassador of Japan to Canada
Hideki Ito, Consul General of Japan in Vancouver

Save Japanese Children From Elevated Doses of Nuclear Radioactivity

On April 19, 2011, the Japanese government raised the allowable limit for radioactive exposure on school properties in Fukushima prefecture from 1millisievert (mSv)/year (maximum allowable level for adults in normal circumstances) to 20mSv/year. Even though the Ministry of Education stated on May 27 that they would "aim" at bringing the annual exposure level down to 1mSv, they have not retracted their earlier decision to tolerate up to 20mSv of exposure per year or changed their evacuation policy.

We find this to be an intolerable decision especially as scientific evidence shows that infants and children are much more vulnerable than adults to adverse health effects of radiation. Allowing children to be exposed to such high doses of radiation is unacceptable; moreover it violates both international and domestic laws, namely ‘the Convention of the Rights of the Child' and ‘the Constitution of Japan’. We demand an immediate reversal of the Japanese government's decision to authorize the increased exposure of ionizing radiation of as high as 20mSv/year to Japanese school children. We have grave concerns not only for the welfare of the children of Japan but also for all children throughout the world as this decision can set a dangerous precedent both domestically and abroad.

For more information: http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/05/information-sources-in-languages-other.html , http://fukushima.greenaction-japan.org/

Organized by Vancouver Save Article 9 & Peace Philosophy Centre, Canada Email: info@vsa9.org , info@peacephilosophy.com

Click HERE for the on-line petition form.

在カナダ日本国大使館大使 石川薫 様
在バンクーバー日本国総領事 
伊藤秀樹 様

日本の子どもたちを放射能から守るための要請

2011年4月19日に日本国政府は、福島県の学校や幼稚園での子どもたちの被曝上限を、一般成人の1年間の上限である1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げました。その後5月27日に文部科学省は、学校において子どもたちが受ける被爆線量について、年間1ミリシーベルト以下を目指すと発表しましたが、年間20ミリシーベルトの上限については撤回しておらず、避難の指針についても変更していません。 子どもや幼児が大人に比べて放射能に対する感受性が高いことは、科学的に裏付けられています。したがって、被爆線量の引き上げによって子どもたちをこれほど高い放射能に曝すのは許しがたいことです。さらにこの指針は「日本国憲法(第25条)」ならびに国際法であり日本も批准している「児童の権利に関する条約」にも抵触します。 私たちはこの指針が日本国内だけでなく海外の先例となることに対して深い懸念を持ちます。日本の子どもたちだけでなく世界の子どもたちの健康を守るために、この指針を撤回することを強く要請します。

呼びかけ団体 バンクーバー9条の会、ピース・フィロソフィー・センター
Email: info@vsa9.org , info@peacephilosophy.com
詳しい情報について http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/05/information-sources-in-languages-other.html , http://fukushima.greenaction-japan.org/

オンライン署名はここをクリック → 署名フォーム
(英語でご署名下さい)

Friday, July 29, 2011

"Shut Tomari" - Stop Tomari Nuclear Plant in Hokkaido from Re-operation 泊原発再開に反対

"Shut Tomari" is a citizens' organization trying to shut down Tomari Nuclear Power Plant in Hokkaido. Please see Kaori Izumi's plea for international collaboration below. See Shut Tomari's blog. http://shuttomari.blogspot.com/search/label/English

北海道泊原発再開を阻止するため活動する市民団体「 Shut 泊 」http://shuttomari.blogspot.com/ を紹介します。泉かおりさんからの海外への訴えをご覧ください(下記)。道の合意なしでも国の指示があれば再開すると開き直った北電社長の報道も。泊原発はチェルノブイリ事故後日本国内で初めて運転開始した原発であるとのこと。福島第一事故後初めて再稼働する原発という汚名を再びかぶることは絶対にないように。日本の原発が全て廃炉になるように。メディアが激しく繰り広げる節電キャンペーン。節電は大事だが、原発再開なしでこの夏を乗り切ってしまうと原発が実は必要ないことが国民にばれてしまうので政府も電力会社も、この夏を乗り切ることを事業や市民の節電のおかげだと言えるために節電を強制していることを、皆さんわかってください。「原発必要神話」を打ち崩しましょう

泉さんより最新情報:
今日は、東京での保安院、原子力安全委員会、事故対策課との交渉に参加しました。泊3号の営業運転取りやめが、いちばんの争点を成りました。8月1日に、40人の原告団で、海江田経産相大臣に泊3号機営業運転差し止め訴訟を提訴します。

Citizens sitting-in in front of Tomari Nuclear Power Plant, Hokkaido

Dear all,

Please disseminate this message.

This is to let you know that our government is now allowing Tomari Nuclear Power Plant in Hokkaido, which will be the first plant in Japan to be in full operation for commercial purpose after Fukushima Daiichi Disaster happened. There is no new standard for safety of nuclear power plants after Fukushima Daiichi. The water, the soil, the air, the sea, fish, vegetables, milk, meat, everything is contaminated in Japan in different degrees. Meat from cattle which were fed with radiation contaminated rice straws in Fukushima and other areas were sold to all over in Japan, and it was used for lunch for young children in kindergarden. Some farmers committed suicide after they found their vegetable and animals are contaminated. One grandmother committed suicide leaving a note,”I do not wish to be a burden for my family. I am going to evacuate to the heaven”. Families are breaking out. Many fathers remain in Fukushima to earn the living, while their wives and children have evacuated outside Fukushima. Many young mothers left their job, house, and husband, relatives, friends, evacuating with their babies only with an intention to minimise the risk of their children exposed to radiation. We have over 2000 families evaucated to Hokkaido, most of them young mothers, some of whom have no money for living for next month.

Government has budget to test radiation exposure on cattle, but not for people.

Fukushima Daiichi is far from settling down the disaster. Yet, government is preparing a plan to call back Fukushima nuclear disaster refugees home.

Any nuclear power plant in Japan has a pontential to be next Fukushima Daiichi.

Our Tomari Nuclear Power plant is the first one to come under operation in Japan after Chernobyl accident which happened in 1986.And now it could become the first one to be in full operation for commercial purpose, if we failed to stop current government plan to do so.We have tried all our means to stop it since 3.11, but we came to the point where we shall sit in front of mayor’s office from tomorrow.

If you have a possibility, please inform media in your country, which may have forgotten Fukushima Daiichi, and at least 300,000 of our children in Fukushima who are gradually and deliberately murdered by the government for next years to come.

We can not let our government to get Tomari in full operation as the first case after Fukushima. We can not make a precedent.

Whole Japan is watching Tomari today. I request you to keep your eye on the fate of Tomari Reactor 3.


Regards,
Kaori Izumi
Shut Tomari
Tel:+81-9026951937


泊3号機 道の同意なしでも営業運転申請 北電社長が意向
(07/29 11:00、07/29 16:21 更新)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/308499.html 
北海道電力の佐藤佳孝社長は28日の記者会見で、調整運転中の泊原発(後志管内泊村)3号機が営業運転に移行する際に必要な国への最終検査申請について「道の同意がなくても、国が受け付けると言うならば出す」と述べ、国から正式な指示があれば、道の同意を得ずに申請に踏み切る意向を示した。

 佐藤社長は「国から(最終検査申請を)出しなさいと言われれば、出さないわけにはいかない」とあくまでも国の方針に従う意向を強調した。

Thursday, July 28, 2011

除染後、運搬も受け入れも法律違反でやっています:東大・児玉龍彦 国会で怒りの訴え - 参考人発言、質疑応答文字起こし

(質疑応答の部分のビデオと文字起こしを追加しました。)

7月27日衆議院厚生労働委員会「放射線の健康への影響」参考人説明における児玉龍彦(参考人 東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長)さんの発言は大変貴重なものです。怒りに満ちた科学者の意見をお聞きください。



こちらが質疑応答です。これも非常に説得力のある迫力に満ちたものです。


http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-626.htmlに書き起こされていたものを友人が一部修正して送ってくれました。句読点等付け足したものをここに紹介します。青字はこのブログの運営者が重要と思うところにつけたものです。(質疑応答の文字起こしも下方に追加しております。)


私は東京大学アイソトープセンター長の児玉ですが3月15日に大変に驚愕いたしました。

私ども東京大学には27か所のアイソトープセンターがあり放射線の防護とその除染などの責任を負っております。それで、私自身は内科の医者でして東大病院の放射線施設の除染などにずっと、数十年かかわっております。

3月15日に、まずここの図にちょっと書いてあるんですが我々最初に午前9時ごろ、東海村で5μシーベルトという線量を経験しましてそれを第10条通報という、文科省に直ちに通報いたしました。その後東京で0.5μシーベルトを超える線量が検出されましたこれは一過性に下がりまして次は3月22日に東京で雨が降り、0.2μシーベルト等の線量が降下しこれが今日に至るまで高い線量の原因になっていると思っています。

それでこの時に枝野官房長官が「さしあたり健康にあまり問題はない」という事をおっしゃいましたが私はその時に実際はこれは、大変な事になると思いました。何故かというと現行の放射線の障害防止法というのは高い線量の放射線物質が少しあるものを処理することを前提にしています。

この時は、総量はあまり問題ではなくて、個々の濃度が問題になります。ところが今回の福島原発の事故というのは、100キロメートル圏で5μシーベルト、200キロメートル圏で0.5μシーベルト、さらにそれを超えて足柄から静岡のお茶まで及んでいる事は今日みなさん全てがご存じのとおりであります。

我々が放射線障害を診る時には、総量をみます。それでは東京電力と政府は一体今回の福島原発の総量がどれくらいであるかはっきりした報告は全くされておりません。そこで私どもはアイソトープセンターのいろいろな知識を基に計算してみますとまず、熱量からの計算では広島原爆の29.6個分に相当するものが漏出しております。ウラン換算では20個分の物が漏出していると換算されます。

さらに恐るべきことにはこれまでの知見で原爆による放射線の残存量と原発から放出されたものの放射線の残存量は、一年に至って原爆が1000分の一程度に低下するのに対して、原発からの放射線汚染物は10分の一程度にしかならない。

つまり、今回の福島原発の問題はチェルノブイリと同様原爆数十個分に相当する量と原爆汚染よりもずっと多量の残存物を放出したという事が、まず考える前提になります。

そうしますと、我々システム生物学というシステム論的にものを見るやり方でやっているんですが、現行の、総量が少ない場合にはある人にかかる濃度だけを見ればいいのです。しかしながら、総量が非常に膨大にありますとこれは粒子です。粒子の拡散というのは非線形という科学になりまして、我々の流体力学の計算でも最も難しいことになりますが、核燃料というのは、要するに砂粒みたいなものが合成樹脂みたいな物の中に埋め込まれております。これがメルトダウンして放出するとなると、細かい粒子が沢山放出されるようになります

そうしたものが出てまいりますと、どういうようなことが起こるかというのが、今回の稲わらの問題です。たとえば、岩手のふじわら町では稲藁57000ベクレル/kg、宮城県のおおさき17000ベクレル/kg、南相馬市10万6千ベクレル/kg、白河市97000ベクレル/kg、岩手64000ベクレル/kg
ということで、この数字というのは決して同心円上にはいかない。どこでどういうふうに落ちているかは、その時の天候、それから、その物質がたとえば水を吸い上げたかどうか(による)。

それで、今回の場合も私、南相馬に毎週700㎞行って、東大のアイソトープセンター、現在まで7回の除染をやっておりますが、南相馬に最初に行った時には1台のエネアイカウンターしかありません。農林省が通達を出したという3月19日には食料も水もガソリンも尽きようとして、南相馬市長が痛切な訴えをウエブに流したのは広く知られているところであります。

そのような事態の中で通達1枚出しても、誰も見る事が出来ないし誰も知ることができません。稲わらがそのような危険な状態にあるという事は全く農家は認識されていない。農家は飼料を外国から買って、何10万という負担を負って、さらに、牛にやる水は、実際に自分たちと同じ地下水を与えるようにその日から変えています。

そうすると、我々が見るのは、何をやらなければいけないかというと、まず、汚染地で徹底した測定が出来るようにするという事を保証しなくてはいけません。我々が5月下旬に行った時に先ほど申し上げたように1台しか南相馬に無かったというけど、実際には米軍から20台の個人線量計が来ていました。しかし、その英文の解説書を市役所の教育委員会で分からなくて、我々が行って教えてあげて実際に使いだして初めて20個の測定が出来るようになっている。これが現地の状況です。

そして先程から食品検査と言われていますが、ゲルマニウムカウンターというのではなしに、今日ではもっと、イメージングベースの測定器というのが遥かに沢山、半導体で開発されています。何故政府はそれを全面的に応用してやろうとして全国に作るためにお金を使わないのか。3か月経ってそのような事が全く行われていない事に私は満身の怒りを表明します。

第2番目です。私の専門は小渕総理の時から内閣府の抗体医薬品の責任者でして、今日では最先端研究支援というので30億円をかけて抗体医薬品にアイソトープを付けて癌の治療にやる、すなわち人間の体の中にアイソトープを打ち込むという仕事が私の仕事ですから、内部被曝問題に関して一番必死に研究しております。

そこで内部被曝がどのように起きるかという問題を説明させていただきます。内部被曝というのの一番大きな問題は癌です。癌がなぜ起こるかというとDNAの切断を行います。ただし、ご存じのとおりDNAというのは二重らせんですから、二重らせんの時は非常に安定的です。これが、細胞分裂をする時は二重らせんが一本になって、2倍になり4本になります。この過程のところがものすごく危険です。

そのために、妊婦の胎児、それから幼い子ども、成長期の増殖が盛んな細胞に対しては、放射線障害は非常な危険をもちます。さらに大人においても増殖が盛んな細胞、たとえば放射性物質を与えると髪の毛、それから貧血、それから腸管上皮のこれらはいずれも増殖分裂が盛んな細胞でして、そういうところが放射線障害のイロハになります。それで私どもが内部に与えた場合に具体的に起こるので知っている事例を上げます。

これは実際には一つの遺伝子の変異では癌は起こりません。最初の放射線のヒットが起こった後にもう1個の別の要因で癌の変異が起こるという事。これはドライバーミューテーションとかパッセンジャーミューテーションとか細かい事になりますが、それは参考の文献を後ろに付けてありますので
それを後で、チェルノブイリの場合やセシウムの場合を挙げてありますので、それを見ていただきますが。

まず一番有名なのはα―線です。プルトニウムを飲んでも大丈夫という東大教授がいるというのを聞いて、私はびっくりしましたが、α―線はもっとも危険な物質であります。それはトロトラスト肝障害というので私ども肝臓医はすごくよく知っております。要するに内部被曝というのは先程から一般的に何ミリシーベルトという形で言われていますが、そういうものは全く意味がありません。I-131は甲状腺に集まります。トロトラストは肝臓に集まります。セシウムは尿管上皮、膀胱に集まります。これらの体内の集積点をみなければ全身をいくらホールボディースキャンやっても全く意味がありません。

トロトラストの場合の、このちょっと小さい数字なんで大きい方は後で見て欲しいんですが、これは実際に、トロトラストというのは造影剤でして、1890年からドイツで用いられ1930年ごろからは日本でも用いられましたが、その後20~30年経つと肝臓がんが25%から30%に起こるという事がわかってまいりました。

最初のが出てくるまで20年というのは何故かというと、最初にこのトロトラスト、α―線核種なんですが、α―線は近隣の細胞を傷害します。その時に一番やられるのはP53という遺伝子です。我々は今ゲノム科学というので、人の遺伝子、全部配列を知っていますが、一人の人間と別の人間は大体300万箇所違います。ですから人間同じとしてやるような処理は今日では全く意味がありません。いわゆるパーソナライズメディスンというやり方で、放射線の内部障害をみる時も、どの遺伝子がやられて、どういう風な変化が起こっているかという事をみるということが原則的な考え方として大事です。

トロトラストの場合は第一段階ではP53の遺伝子がやられて、それに次ぐ第二第三の変異が起こるのが20~30年後かかり、そこで肝臓がんや白血病が起こってくるという事が証明されております。

次にヨウ素131。これヨウ素はみなさんご存じのとおり甲状腺に集まりますが、甲状腺への集積は成長期の甲状腺形成期が最も特徴的であり小児におこります。しかしながら1991年に最初ウクライナの学者が「甲状腺がんが多発している」というときに、日本やアメリカの研究者はネイチャーに「これは因果関係が分からない」ということを投稿しております。何故そう言ったかというと1986年以前のデータがないから、統計学的に有意だという事を言えないということです。

しかし、統計学的に有意という事がわかったのは、先程も長瀧先生からお話しがありましたが20年後です。20年後に何がわかったかというと、86年から起こったピークが消えたために、これは過去のデータが無くても因果関係があるという事がエビデンス(evidence 証拠・根拠)になったですから、疫学的証明というのは非常に難しくて、全部の事例が終わるまで大体証明できないです。

ですから今 我々に求められている「子どもを守る」という観点からは全く違った方法が求められます。そこで今行われているのは、ここには国立のバイオアッセイ研究センターという化学物質の効果をみる福島昭治先生という方が、ずっとチェルノブイリの尿路系に集まる物を検討されていまして
福島先生たちがウクライナの医師と相談、集めて500例以上の、前立腺肥大の時に手術をしますと、膀胱もとれてきます。これをみまして検索したところ、高濃度汚染地区、尿中に6ベクレル/ℓという微量ですがその地域ではP53の変異が非常に増えていて、しかも、増殖性のぜん癌状態。我々からみますとP38というMAPキナーゼとNF-κB(エヌエフ・カッパー・ビー)というシグナルが活性化されているんですが、それによる増殖性の膀胱炎というのが必発でありまして、かなりの率にもう上皮内のがんができているという事が報告されております。

それで、この量に愕然といたしましたのは、福島の母親の母乳から2~13ベクレル、7名で検出されているという事が既に報告されている事であります。

次のページお願いします。我々アイソトープ総合センターでは、現在まで毎週700キロメートル、大体一回4人づつの所員を派遣しまして南相馬市の除染に協力しております。南相馬でも起こっている事は全くそうでして20km30kmという分け方が全然意味がなくて、その幼稚園ごとに細かく測っていかないと 全然ダメです。それで現在20kmから30km圏にバスをたてて1700人の子どもが行っていますが、実際には避難、その、南相馬で中心地区は海側で学校の7割で比較的線量は低いです。ところが30キロ地点の飯館村に近い方の学校にスクールバスで毎日100万円かけて子どもが強制的に移動させられています。このような事態は一刻も早く辞めさせてください。

いま、その一番の障害になっているのは、強制避難でないと保証しない、参議院のこの前の委員会で当時の東電の清水社長と海江田経済産業大臣がそういう答弁を行っていますが、これは分けて下さい。補償問題、この線引きの問題と子どもの問題は直ちに分けて下さい。

子どもを守るために全力を尽くすことをぜひお願いします。

それからもう一つは、現地でやっていますと、除染というのの、緊急避難的除染と公共的除染をはっきり分けて考えていただきたい。緊急避難的除染を我々もかなりやっております。たとえばここの図表に出ておりますこの滑り台の下。滑り台の下は小さい子が手をつくところですが、この滑り台に雨水がザーッと流れてきますと、毎回濃縮します。右側と左側とズレがあって、片側に集まっていますと、平均線量1μのところだと10μ以上の線量が出てきます。それで、こういうところの除染は緊急にどんどんやらなくてはいけません。

それからこういうさまざまな苔が生えているような雨どいの下、これも実際に子どもが手をついたりしているところなのですが、そういうところは、たとえばですね、高圧洗浄機を持って行って苔を払うと、2μシーベルトが0.5μシーベルトまでになります。

だけれども、0,5μシーベルト以下にするのは非常に難しいです。

それは、建物すべて、樹木すべて、地域すべてが汚染されていますと、空間線量として1か所だけ洗っても全体をやる事は非常に難しいです。ですから、除染を本当にやるという時に、いったいどれくらいの問題がありどれ位のコストがかかるかという事を、イタイイタイ病の一例で挙げますと、カドミウム汚染地域、だいたい3000ヘクタールなんですが、そのうち1500ヘクタールまで現在除染の国費が8000億円投入されております。もし、この1000倍という事になれば、いったいどれほどの国費の投入が必要になるのか。ですから私は4つの事を緊急に提案したいと思います。

第1番目に国策として、食品、土壌、水を、日本が持っている最新鋭のイメージングなどを用いた機器を用いて、もう、半導体のイメージ化は簡単です。イメージ化にして流れ作業にしてシャットしていってやるということの最新鋭の機器を投入して、抜本的に改善して下さい。これは今の日本の科学技術力で全く可能です。

2番目、緊急に子どもの被ばくを減少させるために新しい法律を制定して下さい。私のやっている、現在やっているのは、すべて法律違反です。現在の障害防止法では各施設で扱える放射線量、核種等は決められています。東大の27のそのいろんなセンターを動員して現在南相馬の支援を行っていますが、多くの施設はセシウムの使用権限なんか得ておりません。車で運搬するのも違反です
しかしながら、お母さんや先生たちに高線量の物を渡してくる訳にもいきませんから、今の東大の除染ではすべてのものをドラム缶に詰めて東京へ持って帰ってきております。受け入れも法律違反、全て法律違反です。


このような状態を放置しているのは国会の責任であります。全国には、例えば国立大学のアイソトープセンターというのは、ゲルマニウムをはじめ最新鋭の機種を持っているところは沢山あります。そういうところが手足を縛られたままでどうやって、国民の総力を挙げて子どもが守れるのでしょうか。これは国会の完全なる怠慢であります。


第3番目、国策として土壌汚染を除染する技術を民間の力を結集して下さい。これは、たとえば
東レだとかクリタだとかさまざまな化学メーカー、千代田テクノとかアトックスというような放射線除去メーカー、それから竹中工務店とか様々なところは、放射線の除染などに対してさまざまなノウハウを持っています。こういうものを結集して現地に直ちに除染研究センターを作って、実際に何10兆円という国費がかかるのを、いまだと利権がらみの公共事業になりかねない危惧を私はすごく持っております。国の財政事情を考えたらそんな余裕は一瞬もありません。どうやって除染を本当にやるか、7万人の人が自宅を離れてさまよっている時に 国会は一体何をやっているのですか。

以上です。

★★★以下、質疑応答の部分の文字起こしです★★★

衆議院厚生労働委員会 「放射線の健康への影響」参考人説明より 児玉龍彦
(参考人 東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長)

(質問者)
どうもありがとうございます。そうしますと、たいがいは放射線による の方法はあるというふうに思いましたけれど、そうしますと線量の問題が先ほど来、出ておりました。内部被ばくと言う話もでていましたけれど、まずは線量の所でお聞きしたいのですけれども、明石先生、唐木先生は、「大丈夫です、安心できますよ」という話だったのですけれども、児玉先生の方からまあ、ああいうお話があったんですけども、唐木先生と明石先生の話はデータにもとづいて出ていまして、まあ、ある程度低いところでは埋もれてわからないところが出るんでしょうけれども、まあそれ以降については有意な差が出ているということをお話されていましたけれども、それに対するなにかご意見みたいな、児玉先生、お持ちだったらお聞きしたい。

(児玉氏)
放射線が人間の遺伝子を傷害します。その時に人間には2万5000の遺伝子がありますが、一定の数のDNA修復に関係する遺伝子、DNAの保護に関わる遺伝子があります。ふつうはこれがやられないと、低線量のものはたいてい問題なく修復されるということがわかった。
だけれども先ほど、たとえばアルファ線でやられてるP53だとか、それから我々最近、ガンゲノムシークエンスということで、肝臓がんやさまざまなものを遺伝子配列全体を決定して、いわゆるドライバーミューテーションという、最初にがんを作っていく方向に起こってしまう変異が、何で起こるかというのを研究しておりますと、たとえばP53のような、最初のDNAを守っていったり、そういうところに関わる遺伝子を壊すと、がんになるということがわかった。

そうしますと、実際には2万5000の遺伝子のなかで、どこがやられるかということは、極めて確率論的になってきます。ですから一般にわかるのは、統計学的に非常にたくさんの人を集めて、たとえばあとでチェルノブイリの時の甲状腺のように、最初はですね、たぶん長滝先生なんかご存知だと思いますが、笹川財団でしらべたときに、5万人までしらべたときに有意な差がないといわれた。ところがですね、それが今になってコンセンサスとして、6000人の甲状腺がんと15人の死亡例が生まれているという風に変わってきています。

私もともとですね、こういう問題に興味を持ちましたのは、自分はコレステロールの方が専門でして、コレステロールの薬を作る時にも、たくさんの論争がありました。

それで私は医学者として、今一番感じておりますのは、このどこの線量が安全かっていう議論と、国の政治的な関わり方を分けていただいて、国は、ようするにコレステロール論争の時に一番大事だったのは、コレステロールを下げる薬をやって心筋梗塞が減るかどうかという問題、それで今日の厚生委員会でも考えていただきたいのは、学問論争に対して厚生委員会で結論を出したり考える必要は私はないと思っています。

国民の健康を守るためにどういう事ができるかという時に、まずセシウム137というのは、自然界には1947年以前に存在していないものです。原発と原爆で生まれて、それが1960年代の初めに水爆実験によってピークになったものである。

その時に、猿橋勝子さんという女性研究者が、海水のセシウム濃度が100倍になっているということを微量線量計で確認して、これでアメリカに行って公開実験というのをホルサム博士とやって、これが大気圏内の核実験禁止の大きな学問的根拠になりました。

その後セシウムはずっと減ってきていたのが、またそれをはるかに倍する量に今、上がろうとしている時であります。

そうしますとその線量議論の問題を言うよりも、元来自然界にないセシウム137というのが膨大に巻かれて、ガンマカウンターでかんたんにわかるような量に散らばっている、しかもそれが広島原爆の20倍の量撒かれている事態に対して、国土を守る立場から、ぜひ積極的な対応をお願いしたいというのが基本的なお願いです。

(質問者 「山口君」)
どうもありがとうございました。結論づけるつもりはないですし、県民、国民はどうしてたかというと、一番不安な、一番危険なところを聞いて、まあ、動いているというのが実態じゃないでしょうか。安全だと思っている方もいらっしゃいますし、中にはまあ、線量が少ないところであっても子どもを連れて県外に避難されていらっしゃるかたもたくさんいらっしゃると思います。やはり不安でしょうがないと思うんですけれども、

まあ、避難区域の住民が戻れる条件、いま避難区域になってますけれども、先生方でこういう条件にしたら避難区域に戻れるだろう、もう今でも充分戻れるだろうっていう場合もあるでしょうし、先生方によって違うでしょうが、避難区域に戻れる条件を少し教えていただきたいんですが、時間がなくて聞きたいことがいっぱいあるんですけれども簡潔に教えていただければと思うんですけれどもどなたでもけっこうです。

(児玉氏)
私が一番申し上げたいのはですね、住民が戻る気になるのは、行政なりなんなりが一生懸命測定して、除染している地域です。

ですから測定も除染もなければ、安全だ不安だといわれても、信頼できるところがありません。ですからこの数値が安全、この数値がどうということではなしに、行政の仕組みが一生懸命測定をして、その測定に最新鋭の機械を投じて、除染に最新鋭の技術を持って、そのために全力でやってく自治体が、いちばん戻るのに安心だと思います。

(質問者)
はい、どうもありがとうございました。その、牛の基準であったり、コメ、これから作物作ってかなきゃいけないし果物とかもありますけども、今まあ厚生労働省で基準を作って、これくらい食べても5ミリシーベルト超えなければ大丈夫ですよとか、さきほどもお話があったかもしれませんけれども、まあ、ひとつその、農家でコメを作るとかですね、果物を作るっていう、何かそういったところで作る段階での基準みたいなのはございますでしょうか どなたかお願いできますでしょうか

(児玉氏)
ええと入口のほうで基準を決めてても、非常に厳しいと思ってます。生物学的濃縮というのは、さまざまな元素が体に入るとトランスポーターとか結合タンパクというので、極めて特殊な集積の仕方をしますので、ですからやっぱり出てきた農産物をきちんと見るというしくみを徹底的に作っていかなくてはならないと思います。

そうするとですね、やっぱりラインのようなかっこうで、どんどんイメージとして、その農産物が量がチェックできるようなしくみ、実際にはあるんですが、まだほとんどこういうのの測定に使われていませんので、そういうものを全国の産地に緊急に整備して頂いて。

あと、今回の稲わらのように、想定外の場所での濃縮事件というのは、自然界では山ほど起こります。

ですからやっぱり出口の、食物の出ていくところでのチェックというのを緊急にものすごく良くするというのが、大事になってきます。

(質問者)
現地でもですね、各小学校単位ごとにそれぞれの専門家の先生方をお招きして、放射線の勉強会、その参加の数は何百人、一校単位ですから何百人という方が、来るんですけども、何回やっても同じなんですね。だからこれは本当にどうすれば不安というものを取り除くことができるのか。たとえば私はですね、科学的なことをいくら説明しても、理解しても体がついていかないという、こういう状況下におかれていますので、もうその方は、避難できる方は避難してください、そしてそれに対する支援をしていく。避難できない方は、きちんと家庭での防護策といいますか、それを我々政治の方はやるべきだなと、私自身は思っておりますけど、その辺は、いかがでしょうか

(児玉氏)
信頼感っていうのは、言葉で説明を聞いて生まれるんではないと思います。私も毎週、南相馬に行っているんですが、南相馬のたとえば方たちが本当に汚染してる学校やなんかを案内してくれるのは、やっぱり一回目じゃ、ないんですよね。

だから支援に来てる人がただ一回だけ来て帰って行ってしまうみたいのは、かえってすごく問題をひどくするだけで、やっぱり本当に持続的にやって行こうとすると、一緒に測って一緒に考えて除染していく、避難されたい方は避難を応援する、そういうのがすごく、大事ではないかと思っています。

それで南相馬に行って私どもが最初に言われたのは、やっぱりさっき言ったその、線量の低いところから高いところへスクールバスで子どもが千人を超え移動させられているということで、それで実際に地域を見てもひとつの学校を見ても、さっきから何ミリシーベルトだったら安全ですかという議論は、わたくし現実味がないと思うのは、例えば2マイクロシーベルトの学校を測っていても一か所に行くと33マイクロシーベルトなんです。ですからそういう時にいったい何ミリシーベルトの土地とするかという問題が出てきてしまいますから、やっぱり高いところがあったら必ず刈り取って行きますよと。測って一緒にやっていきますよと。不安があったら相談に乗りますよと。農産物があったら最新鋭の科学機器を集めて最高の検査メーカーが来てやりますよというような体制がない限り、安心できないというのが当たり前ではないかと。

ですからいま求められているのは、最高の施策が福島県民に与えられるように、国会でぜひ考えていただきたい。

(質問者)
ありがとうございました。最後に児玉参考人に伺いたいと思うんですけれども、まさしく今日内部被ばくの問題がずいぶん話題になりました。また遠距離被ばくということもみなさん先生がだいぶ指摘をされましたので、そういう観点で除染作業もやってらっしゃる先生から、一言伺いたいと思います。

(児玉氏)
私、放射線取扱者に1977年になりまして、1995年から放射線取扱主任として、除染と規制に関わっております。それで今まで、科学技術庁告示平成12年から、我々がやらされていたこと一つだけご報告します。

それは、たとえば妊娠可能の女子については、第5条4項で、内部被ばくを1ミリシーベルト以下にする、それから第6条第3項、妊娠中である女子の腹部表面については前項第4号に規定する期間につき2ミリシーベルト。これを規制されてその規制を守るべく、30年やってまいりました。

ところが、福島原発の事故で、広島原爆の20個分の放射線がまき散らされたとたんに、このような基準がすべて反故にされている。さきほど福島県の議員から、どのようにしたら安心かというご質問がありました。

私は、安全に関しては基準を決めたら、危機になったらそれを変えていく格好ではだめだと思います。いま今年できないかもしれないけども、来年までにその基準に持って行く、再来年までにはこうするということがなければ、住民が安心できるわけがないではありませんか。

そのためには、最初から申し上げている通り、広島原爆20個分の天然にはないセシウムを撒き散らした東電と政府の施策を反省し、これを減らすために全力を上げる以外に、安心できる解決などありえないです。そのことを抜きにして、どこが安全だという議論をいくらやっても、国民は絶対信用しません。

(質問者)
引き続いて、牛のセシウム汚染をはじめとして、今朝でしたか、腐葉土にもやはり高濃度のセシウム汚染があるということで、単に牛だけではなく及ぼす影響は全食品に関わってきていると思います。またあの海への汚染もありますので、今後魚への汚染ということも避けて通れないと思います。その中で先ほど唐木委員のお示しいただきました参考資料の中に、たとえば牛についてですけど、全量、全個体、全体検査や抜き取り検査はかなりこれは困難というか、不適切であるというような表現でありましたが、これは2週間ほど前NHKスペシャルでやっておりましたベラルーシでの取り組みは、チェルノブイリ事故25年を経っても、各学校で子どもたちのミルクや野菜の放射線レベルを点検するということでございました。

やはりここまで食品汚染が広がってきているというのは、なるべく口に入る身近なところで検査するという体制、まあ、それがどこまで身近にやれるかはまたあると思いますが、そうした考え方に立つことが重要ではないかと思いますが、この点について唐木参考人と、あと児玉参考人は先ほどラインの測定でずっとフォローしていくような技術も我が国の現状においては可能ではないかというようなお話でしたので、もう少しご披瀝をいただきたいと思います。お願いいたします。

(児玉氏)
今おそらくやられているのは、かなり旧式なやり方なんですがゲルマニウム半導体というので、周囲を6cmぐらいの鉛で遮蔽した中にものを置いてやられています。

それで今日は半導体の検知器というのはかなり多数の種類が改良されておりまして、私が最先端研究支援でやっておりますのはPETという、機械でやってるんですが、PETで検出するときには内視鏡の先でも検出できるくらいの感度の高いものを開発しております。

それでそういうのを集めて行っていまやられているのはむしろイメージングに変えている。ですから、ゲルマニウムの半導体というのはスペクトラムを出して、長いスペクトラムを全部見るんですが、たとえばセシウムに絞って、この線量を見るんであれば、半導体検知器の検出感度がいまずっと良くなってますから、画像型にすることが簡単にできています。

それでたとえばその一つの画像型のイメージみたいなのは、米軍から供与されてヘリコプタに乗って、地上の汚染をやるのに、まあいろんなところで、今日あたりは茨城県をやってると思いますが、検知器で地上を映すようなものがやられております。

それで農産物をたくさんやろうとする場合には、ライン化したところで多数のものをできる仕組みをやらなくてはなりませんから、イメージングの技術を基礎にして半導体を集めたようなもののセンターをたくさん作って、流れ作業的にたくさんやれるようにして、その中でハネるものを、イメージで、画像上で、これが高いと出たらハネていくような仕組みを、これは既存の技術ですぐ出来ますものですから、それを全力を上げてやっていただきたいと思っております。これを生産地にかなりのところで作る必要があると思っています。

(質問者)
最後に児玉先生に一つお願いしたいと思いますが、アイソトープセンター、これは全国にございますが、今回の除染に活躍させるために何が必要か、お願いいたします。

(児玉氏)
5月に、全国のアイソトープ総合センター会議というのがありまして、そこでいろいろ議論をしていた時に、まあ文科省の放射線規制室の方が仰ってたのは、福島原発以来のRIはRIではないと。

我々は国民の生活に責任を持つという仕事をやってるんではなくて、法律に決められた放射線取扱者を規制することが仕事だという風に仰っていました。

それで、ある面では私非常に違和感を感じたんですが、もう一方ではたとえば文科省の法律の規制室の方は従来の規制に従ってやらざるを得ない、それで高い線量のものが少量あるということを対応した法律体系はありますが、低い線量のものが膨大にあるという、それをどう除染していくかということに関する法律がほとんどなくて、今も汚泥問題、その他すべて問題になっているのはそこであります。

それで、しかしながら現在の全国のアイソトープ総合センターなんかは、旧来の法的規制のまんまでなんらのこれらの組織、たとえばゲルマニウムの機械が足りないというお話がありましたが、そんなものは全国にたくさんあります。

ところがそこへの持ち込み、持ち込んだ廃棄物の引き取り、こういうのが法律的にまったくない。だから今も東大のアイソトープセンターでやってんのは全部違法行為だと申し上げました。この場合にはセンター長である私と、専任教官と事務主任の上で審査委員会を設けて、内部でチェックして超法規行為を勝手にやってるっていうのが現状であります。それで、そういう法律を一刻も早く変えて、測定と除染というのにぜひ立ち上がっていただきたい。それなくして親の安心もないし、しかも先ほどから長滝先生たちが仰っている、原爆型の放射能の常識というのは、これは原発型の場合には全く違います。

それから先ほど仰いました、長滝先生のおっしゃった、一過性に核医学で治療をやるというのも、これも形式が違います。われわれたとえば抗体にニトリウム?をくっつけておくと、ゼバリン?という医薬がありますが、あれは一過性にもかなりの傷害を起こしますが、それでもがん細胞をやっつけるためにいいからやってるということであって、正常者にこれをやることはとても許されない、無理なものであります。

それで、ですから私が申し上げたいのは、放射線総量の全体量をいかに減らすか、これはようするに数十兆円かかるものであり、世界最新鋭の測定技術と最新鋭の除染技術をただちに始めないと、国の政策としてまったくおかしなことになるんです。

いま我々がやってるたとえば幼稚園で除染します。除染して、高圧洗浄液でやりますと、側溝に入ります。側溝をきれいにしています。しかしその側溝の水はどこへ行くかというと、下流の農業用水になっています。それで、イタイイタイ病の時の経験は、カドミウムの除染を下手にやりますと、二次被害を引き起こした。ですから国の政策として国民の健康を守るためには、総量の問題をまず考えてください。緊急避難と、ひとつ、総量の問題、ふたつ。これをぜひ議論をよろしくお願いします。

(質問者)
最後に一点だけ児玉参考人にお伺いをしたいと思います。
細野原発担当大臣が、もうすでにですね、避難区域の解除と帰宅ということを就任早々おっしゃられて、今度まあ無人ヘリを飛ばして現地の調査を行って、場合によっては早期に解除し住民に帰ってもらおう、こういう話が出てきています。しかしまあ、チェルノブイリの強制移住レベルを上回るようなですね、高濃度の汚染地域が東京23区全体をうわまわる800平方kmに広がっている中で、今の状況でこの避難区域を解除するということが正当化されるのかということを、児玉参考人にご見解としてお伺いをしたいと思います。

(児玉氏)
ええとまずですね、20km、30kmの地域というのは、非常にまだら状になっています。それで、私が一番よく存じております南相馬の場合ですと、南北ではなく東西に線量が違います。飯館村に近い方は20ミリシーベルト以上で、現在避難が開始されている。それでこちらの方は、海側の方は、それよりもずっと線量が低いところがあります。

それで、こうした場合には、自治体が判断した方が、いまは20km、30km圏は病院は休診、学校は休校ということが、一応指示となっております。それをやっぱり学校を開いて一番低い線量のところで子どもが授業できるようにするとか、そういう判断は自治体の判断でできるようにした方がいいと思います。

ですから今の線引きの問題の話というよりも、実際にいかに子どもの被ばくを減らしたり地域を復興していくかという問題が、まず一個あります。

ただそこでもう一つの問題は、地元で聞きますと、商工会やなんかから、今は強制避難ですから、補償が出ています。だけれども避難区域が解除されたら、補償がなくなってしまうということで、実際に私が南相馬へ行っている間も、住民の中で非常に大きな意見の違いが生まれていて、見ていてとてもいたたまれない思いが致しました。

それでぜひ、避難の問題とそれから補償の問題を分けて、それで先ほど仰った避難の解除というのは、要するにどういう問題があるかというと、高い線量のところはこれは除染しないと非常に危険です。

それで今そういう問題になっているのは主に、年20ミリシーベルト以上の被ばくを受けてしまう地域であると思いますから、そこに関しては引き続き強制的な避難が必要であると思っていますし、ここの地域をどう除染していくかということは、東電なり、我々科学者なり、日本政府が、とてつもない十字架を背負っていると思います。そのことを住民の判断だけに押し付けるというのは、とても難しい問題があると思っておりまして、年20ミリシーベルト以上の地域に関しては、やはりぜひとも国で、ここの避難している人たちの生活の保障と、それから除染の努力をやっぱりどんなふうに進めるかという見通しを、ほんとうに必死に考えないといけないと思っています。

それで、20kmから30kmという現状の同心円が、それを正確に示してるかというと、いまはそうではなくて、むしろ地域復興の妨げになっている面がありますから、地元自治体との相談の上で、そこの地域のさまざまな行政生活上の問題に関しては子どもやお母さんが一番安心できるようなものにすることを一刻も早くやって頂きたい。それで細野大臣はある意味ではそういう意見を反映している面があると思います。

もう一方では、それを補償問題とどういう風に結びつけるかという議論がないと、やはりこれもう一方で非常に大変な問題が生まれてしまいますので、やはり今は強制避難でないと補償できないとか、住民が被害を立証できないと補償しないという格好はもう、まずいんではないかという風に私は思っています。

(以上)

Tuesday, July 26, 2011

藤岡惇「米国はなぜ2発の原爆を投下したのか」 Atsushi Fujioka: Why the US Dropped Two Abomic Bombs

これは昨年11月18日投稿でも紹介した、藤岡惇さん(立命館大学経済学部教授)の論文の改訂版です。『立命館経済学』2011年3月号に掲載されました。藤岡さんと、アメリカン大学のカズニックさんが共同で学生を引率する広島・長崎の旅は今年で17年目を迎えます。今年は、カズニックさんと鹿児島大学の木村朗さんの共著本の出版を記念し、8月8日長崎で公開セミナーも開催します。よく原爆は戦争を終結するために必要だったとか、アメリカでは、原爆によって人命を救ったかのような屈折した論法が使われていますが、歴史資料をひも解くと、終結を早めるどころか、アメリカは実は原爆を投下するために戦争終結を遅らせたことが分かってきています。藤岡さんの論考は、複雑な原爆投下の背景について理解を深めることができるものと思います。
(PPC 乗松聡子)


米国はなぜ2発の原爆を投下したのか

―――ヒロシマ・ナガサキの悲劇の教訓



「日本が下劣な野心を貫こうとして行った犯罪を私が弁護しようとしている、と早合点しないでください。違いは程度の差にあったのです。日本の強欲のほうがいっそう下劣であったとしましょう。しかし日本が、どんなに下劣であったとしても、日本の特定地域の男、女、子供たちを、情け容赦もなく殺してしまうという下劣なことをやってよい権利はだれにも与えられていなかったのです。
(M.K.ガンジー、「原子爆弾 アメリカと日本」『ハリジャン』1946年7月7日)

はじめにーー20世紀の最重要事件としての原爆投下

Atsushi Fujioka
 広島・長崎への原爆投下から65年の歳月がたちました。広島・長崎への原爆投下が、世界史的にいかに強烈なインパクトを与えてきたのかを感じとっていただくために、二〇世紀の最後の年(1999年)に行なわれた2つのアンケート調査の結果を紹介しましょう。
第一の調査は、メディア各界の設立した博物館として有名なワシントンの「ニュージアム」の企画したものです。二〇世紀の事件のなかでもっとも重要だった出来事を67人のベテラン・ジャーナリストにランキングしてもらい、上から百位を発表する趣向でした。彼らが第1位にノミネートしたのは何か。それは広島・長崎への原爆投下という事件だったのです。
もう一つの調査は、ニューヨーク大学ジャーナリスト学部のおこなったものです。米国の報道作品のなかで、過去百年の中でもっとも優秀な作品とは何かを36人の専門家(うち19人はジャーナリスト学部の教授陣、他の17人は報道関係者)に問うたものです。ランキングのトップに立ったのは、ジョン・ハーシーのルポルタージュ『ヒロシマ』でした。1946年に文芸雑誌に掲載されたこの作品は、アインシュタインやパール・バックに激賞され、ベストセラーとなって一世を風靡しました。8人の被爆者の肉声によりそう形で原爆投下後の真実を生き生きと再現したがゆえに、ジョン・ハーシーの本は、今なお米国人の良心につきささる鋭いとげとなっているのです。1)

16回目を迎えた「平和巡礼の旅」

1995年以来毎年8月になると、私は、アメリカン大学のピーター・カズニック教授(以下ピーターと略)と組んで、日米カナダの学生たち30-50名とともに、京都・広島・長崎を巡る「原爆学習の旅」をおこなってきました。1996年以降は、被爆者でアメリカン大学の卒業生でもある近藤紘子さんが、2006年以降になるとカナダから乗松聡子さん(ピースフィロソフィー・センター代表)が講師陣に加わっています。近藤紘子さんは、25名の「原爆乙女」渡米治療運動リーダー(谷本清牧師)の長女であり、先に紹介したジョン・ハーシーの『ヒロシマ』に登場する最年少の被爆者です。
第16回目となった2010年度も、8月1日から10日の旅程で、総勢48名(米国の学生17名、カナダの学生2名、イタリアの学生1名、中国の学生3名、日本の学生16名、先輩の学生リーダー4名、教職員5名)の参加で、成功させることができました。過去に参加した先輩学生や卒業生たちも集まってきますので、ことしも参加者総数は60名を越えました。2)
「原爆学習の旅」とは、被爆した死者を慰霊し、自らの生き方を問う旅でもありますから、「平和巡礼」の旅だと言うこともできます。「学びと巡礼の旅」のなかで、議論し、解明してほしいと願うのは、端的に言えば、つぎの3つの問題です。広島の平和公園には、「安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しませぬから」という碑文がありますが、①「過ち」とは何ですか。②「繰り返しませぬから」という文章の主語は誰ですか。③「繰り返しませぬ」という誓いは、どうしたら実現できるのでしょうか、という3つの問題なのです。

原爆投下はなぜ必要だったのかーー米国支配層のあげる6つの論拠

なぜ米国は2発の原爆を広島・長崎にたてつづけに(なか2日をはさむだけで)、投下したのでしょうか。終戦を早めるためのやむをえない措置(必要悪)として是認すべきなのか、それとも悪質な戦争犯罪として断罪すべきものなのかという論点が、毎年、ホットな討論テーマとなります。かりに原爆投下を戦争犯罪とみなしたばあい、トルーマンたちの責任は、どの程度のものなのか。1千万人以上のユダヤ人や共産主義者のホロコースト(絶滅的殺害)をおこなったヒットラーの責任とトルーマンの責任とはどちらが重いのかといった論点にもつながっていきます。
広島に原爆を投下したB29爆撃機は、エノラ・ゲイという名称がつけられていましたが、随伴した91号機には「エッセンシャル・イーブル」(必要悪)という名称がつけられていました。この名称が示すように、2発の原爆投下は終戦を早めるためのやむをえない「必要悪」にほかならず、「より大きな善」を実現するための「小さな悪」として是認されるべきだというのが、過去65年間の米国政府の一貫した姿勢です。
彼らの主張を支えているのは、つぎの6つの論拠というか、国定の「神話」です。
第1の神話は次のようなものです。もし本土上陸作戦を連合軍が敢行したばあい、50万人から百万人の米軍兵士が死亡したことだろう(当初の国防省の見積もりは4・6万人だったのですが、論争のなかで増えつづけ、1947年のスティムソンの投下正当化論文ではついに百万人となったのですが)。3) 日本の降伏を早め、百万人の米軍兵士の命を救うために、米軍はやむなく原爆を投下せざるをえなかったというものです。そのおかげで結果的には、それ以上の数の日本人やアジア人の命も救われたのであり、2発の原爆で30万人が死亡したとしても、見返りに日米あわせると200万人以上の人命が救われたことになる。したがって原爆投下は、「より小さな悪」として是認されるべきだという主張になります。
2つめは、矢つぎばやに投下された2発の原爆は日本政府を降伏させるうえで効果的な役割りを果たしたという神話です。原爆投下は日本の降伏を促進した。もし原爆なかりせば、日本軍は長期間抵抗したし、本土決戦は不可避となっただろうというわけです。
第3に、もし原爆投下をしなければ、8月9日に対日参戦を開始したソ連軍によって、日本帝国は蹂躙され、日本本土の一部もソ連によって占領される事態となっただろう。原爆投下によって、日本の分割占領という「悪夢」が避けられたわけだから、是認されてしかるべきだという神話です。
第4に、連合国は7月26日にポツダム宣言を発して、日本に降伏を勧告しましたが、日本の鈴木貫太郎内閣は、ポツダム宣言を「黙殺」すると称して、事実上の「拒否」回答をおこなった。この理不尽な日本政府の回答にたいする「報復」として、原爆を投下したわけだから、是認できるという神話です。
第5に、軍事都市として有名な広島と長崎の軍事施設を主要なターゲットにして、米軍は原爆を投下したのであるから、日本の継戦能力を破壊するための措置として、是認されてしかるべきだという神話です。
最後に6番目の神話となりますが、日本帝国は1931年以来、中国や東南アジアの領土を侵略し、米国の真珠湾を奇襲攻撃するなどの侵略行為を繰り返してきた。この長年の罪業にたいする報復として、原爆が投下されたのだ。したがってこれは、自らが招いた災難であり、自業自得というべきだ。この点の自省を欠いた原爆投下責任の追及は片手落ちと言うべきだ。原爆投下は、日本帝国の魔手から抑圧されてきた諸国・諸民族を解放する戦いの一環であったという意味で是認されるべきだというものです。
これらの6つの論拠(神話)が正しいものかどうかを、以下、吟味・検証していきたいと思います。
 

6つの神話にたいする疑問

16年間「原爆学習の旅」を続けてきましたが、最初の頃は日本の権力者が侵略戦争を始めた責任や、敗戦受け入れをためらったために原爆投下を招いてしまったという日本側の「招爆責任」を明確にすることが先決だという意見が、日本の参加者の間では強かったように思います。まずこちら側の身を清めておかないと、相手(米国やアジア諸国)側の心を開いてもらえないのではないか、という善意に発する自省の気持ちがあったことは事実です。ただし米国支配層のなかの独自の思惑なり戦略なりの分析が、この意見には欠けていたという弱点があったように思います。「原爆投下を命令したトルーマンに代表される米国支配層の戦略にたいして、日本の学生は、なぜこれほど無知でナイーブなのか」とピーターが憤っていたことを思い出します。
たしかに岩松繁俊さんなどが強調されてきた日本支配層の「招爆責任」の追及は必要ですが、4)この「過ち」につけこむかたちで、米国の支配層の行った原爆投下という「蛮行」も、不必要で許しがたい「戦争犯罪」というべきであるとか、トルーマンたちの犯した犯罪行為も不問に付さず、米国側の謝罪と補償を求めるべきだといった意見を述べる参加者が、最近は増えています。
なぜこのような傾向が生れてきたのか。戦争を早く終わらせるために、米国は原爆を投下したのではない、むしろ逆に2つのタイプの原爆を投下するまでは日本に降伏を許さなかったというのがコトの真相ではないか、という点を解明する研究書が最近数多く出版されてきたからです。5)ソ連への威嚇と新型戦争の効果の「人体実験」をするために、むしろ米国は戦争の終結を故意に引き延ばしたのではないか、という主張をなす参加者が増えてきたわけです。 
広島市立大学の田中利幸さんたちが中心となって、2006-2007年にかけて「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」(レノックス・ハインズ裁判長)が開かれました。この民衆法廷は、トルーマン大統領はじめ、米国政府要人、開発した科学者、投下を実行した軍人など15人を有罪とする判決を下して閉廷したことも、波紋を呼びおこしました。
これまでも私たち「原爆学習の旅」が主催するかたちで、市民公開のシンポジウムを開いてきた歴史があります。たとえば第5回目の1999年度の旅では、8月7日の午後に広島市内で、ピーターとマリリア・ケリーさん(サンフランシスコ東郊のリバモア核兵器研究所を監視する市民団体リーダー)を招いて、「原爆投下は日本への犯罪か、人類への犯罪か」というテーマで、公開講座を開いたこともありました。しかし何といっても、2009年の8月8日に長崎市で開いた「なぜ二発の原爆を米国は投下したのか」というテーマのシンポジウムは、大変実り多いイベントとなりました。この市民公開のシンポジウムには、鹿児島大学の木村 朗教授をお招きし、ピーターとともに熱弁をふるっていただきました。そしてその成果をまとめるかたちで、木村 朗/ピーター・カズニック『広島・長崎への原爆投下再考――日米の視点』2010年、法律文化社という本が、2010年秋に出版されたからです。
この本の到達点や最近の研究動向を紹介するかたちで、米国のリーダーたちはなにゆえ原爆を投下したのかという問いにたいする私の見解を述べてみたいと思います。

ポツダム会議開会の前日に最初の原爆実験

当時「スーパー」と呼ばれていた原子爆弾の設計・製造にあたっては、核分裂材料としてウラニウム235を使う方法とプルトニウム239を使う方法があり、爆発させる方法としても、砲身型と爆縮型の2つがありました。手探り状態というか、「走りながら考える」というスタイルで開発が行なわれたため、様々な方式にもとづく開発が同時並行的に進められたわけです。
極秘の突貫工事のなかで開発・製造されてきた原爆が爆発するかどうかを見届けた後に、トルーマン政権は、日本の降伏条件を協議する連合国側の会談(ポツダム会談)を開きたかったわけです。そのためポツダム会談開催日は、当初予定の1945年7月1日から7月17日に延期させられました。6)トルーマンの思惑通りにポツダム会談開催予定日前日の7月16日に、米軍はニュー・メキシコ州アラモ・ゴードの地で最初の原爆実験を成功させます。プルトニウム239を用い、砲身型よりも複雑な装置を必要とする爆縮型の原爆を核爆発させたわけです。ポツダム会談(7月17日―8月2日)に参加するためポツダムに到着していたトルーマン大統領は、爆縮型「スーパー」兵器の実験成功の報に接して、安堵の笑みを浮かべたといわれています。「原爆を有効に使うと、ソ連参戦の前に日本を降伏させられるかもしれない。いずれにせよソ連を威圧できる武器が手に入った」と考えたのでしょう。7)


ポツダム宣言原案の12条末尾の一節がなぜ削除されたのか

大日本帝国に降伏を勧告したポツダム宣言の原案第12条には、「連合国の占領軍は、我々の諸目的が達成され、平和的傾向を持ち、日本国民を代表する性格が備えた責任ある政府が、疑問の余地なく確立され次第、日本から撤収されることになろう」という文章の後に、「そうした政府が、二度と侵略を企図することがないと世界が完全に納得するならば、これには現在の皇統のもとでの立憲君主制も含むものとする」という一文が入っていました。日本の降伏を早めようと、知日派総帥のジョセフ・グルーの助言のもと8)、H.スティムソン国防長官らが書き加えた苦心の1節だったのですが、会議直前になって、ジェームズ・バーンズ国務長官らの強引な介入をうけて、この一文が削除されます。9)スティムソンはポツダムにまで赴いて、トルーマンに会い、天皇制の存続を保証する一文を復活させるように必死の説得を試みますが、トルーマンは頑として応じず、年老いた国防長官にたいして「気に入らないなら荷物をまとめて帰ったらいい」とまで言い放ったそうです。10)
それはなぜか。「天皇制の存続保証」を示唆する一文が残っていると、日本政府はポツダム宣言を受諾する「恐れ」があると心配されたためです。当時の価格で20数億ドルもの巨費を投じて秘密に開発してきた「スーパー」兵器が使われずに、戦争が終わってしまうとどうなるか。議会筋や納税者から「無駄遣いだ」という猛烈な反発が出てくるだろうし、原子兵器を軸にした「新型戦争」システムを開発しようと構想していた幼年期の「軍産複合体」にとっても、大打撃となります。「軍産複合体」を米国の地に根付かせていくためには、「スーパー」を投下し、驚異的な威力をソ連だけでなく、米国の納税者にも示威することが必要でした。原爆投下前に、日本の降伏を許容するという選択肢は、はじめからなかったと言っても過言ではないのです。
この論点は、1990年代からガー・アルペロヴィッツさんが明確に提起してきたものです。11) 天皇制の存続を保証するなんらかの言質を与える方向での降伏条件の変更とソ連の参戦の組合せがあれば、原爆投下はなくても戦争は終わっていたし、そのことをトルーマンと側近たちは知っていたと、ガーは主張したわけです。このガーの影響をうけるかたちで、鳥居 民さんは『原爆を投下するまで日本を降伏させるなーートルーマンとバーンズの陰謀』(2005年、草思社)という本を書かれましたが、事態は、まさにこの本のタイトルどおりに進みました。

ポツダム会議がどうなろうと原爆投下は決まっていた

ポツダム会談開会の3日前の7月14日の時点で、すでに「・・・米軍首脳が原爆投下の命令書を担当責任者に手渡して」いました。「この命令書には、日本政府が今後ポツダム宣言を受諾した場合、原爆投下を取りやめるといった“条件付き”の指示が、一切書き込まれていなかった」ことも明らかになっています。12)
ポツダム会議に集まった米・英・ソ連・中国の4首脳のうち、ソ連を除いた3カ国は、7月26日に日本に降伏をせまる「ポツダム宣言」を発表しますが、その一日前の7月25日の段階で、すでにトルーマンは、ポツダムの地から「2発の原爆投下を裁可する最終命令」を発していました。ポツダム宣言の文面がどうなろうとも、あるいは日本政府がどのような態度をとろうとも、日本の2つの都市に異なるタイプの原爆を一個ずつ投下するという方針を、相当に早い段階から決めていたわけです。
とはいえ日本政府を「ポツダム宣言を黙殺(拒否)する」状態に追い込んだ方が「原爆投下もやむなし」という世論を強め、投下を正当化することができます。そのためソ連をポツダム宣言の署名国からはずし、日本のエリートのなかにあった「ソ連は公正な仲裁者として、天皇制日本を助けてくれるのではないか」という、奇怪な「ソ連幻想」を煽りたてた。「ソ連の和平仲介の可能性という『子守唄を聞かせながら[日本を]眠らせつづける』」ためにです。13)また回答期限を付さないなど、ポツダム宣言が降伏を迫る「最後通牒」であるという印象を慎重に消し去そうと努めたわけです。14)
こうして7月28日には、日本政府をして「ポツダム宣言を黙殺する」という談話を出さざるをえない状況に追い込みます。連合国側の通信社は、「黙殺する」という日本語を「拒否する」というニュアンスをもつ“REJECT”という英文に置き換えて配信し、『ニューヨーク・タイムズ』は、7月28日付けで日本はポツダム宣言を“REJECT”したと報じました。このような舞台装置を作ったうえで、米国の支配層は、「ポツダム宣言を『拒否』した頑迷な日本にたいして懲罰を加える」と称して、ウラニウムを用いた砲身型原爆を8月6日に広島の庶民住区の上空で、プルトニウムを用いた爆縮型原爆を9日に長崎(浦上)の庶民住区の上空で、立て続けに爆発させたわけです。

2発の原爆――なぜトルーマンは庶民密集地を標的としたのか

広島では、日本軍の中枢――西部方面軍司令部のあった広島城内ではなく、1キロ余り南西の住宅密集地区の相生橋を標的としていました。通勤時間帯の8時15分に、しかも空襲警報が解除され、市民が日常生活をはじめた時に、原爆がさく裂しました(実際には、すこしばかり目標をそれ、相生橋の南東300メートルの島外科病院の上空600メートルで原爆がさく裂したのですが)。
従来の兵器とは異なる原爆のような兵器を初めて使用するばあい、使用後は、威力や破壊力のデータを集め、投下方法や爆撃機の脱出策も含めて、作戦全体の再検討を行い、その教訓をふまえたうえで、第2発目以降の投下のありかたを決めるのが普通です。しかし原爆投下のばあい、そのような手続きがとられず、広島に投下して3日後の9日には、別タイプの原爆第2号が長崎に投下されるのです。ソ連の対日開戦予定日を目前にひかえ、2発の原爆投下をやり終えようとして、米国の支配層がいかにあせっていたのかが、よく分かる事実です。15)
長崎のばあいも、投下目標は三菱兵器工場などの軍事拠点ではなく、軍事的目標のない商業地区の常盤橋が目標地に選ばれていました。ただし厚い雲にさえぎられて目標地点を視認できなかったので、じっさいには3キロ北の浦上地区に投下されたわけです。被爆当時10歳であった歌手の美輪明宏さんはこう述べています。「11時少し過ぎでした。私は夏休みの絵の宿題を描いていました。描き上げて、机に立てかけ、出来映えを見ようと椅子から降りて、立ったとたんにピカッ!。空は真っ青だったので、『え? こんなにいい天気に雷?』と。そう思うか思わないかくらいで、次はどかーん! と地震みたいな衝撃が来た。目の前のガラスが一瞬で『ぴっ!』と飛んだんです。何が起きたかのかわからない。で、その後に、ものすごい爆音が聞こえたんです。B29が逃げていく音。敵もさるものでね。不意打ちするためにエンジン止めて来てたんですよ。だから原爆の前には警戒警報も空襲警報も鳴らなかったんです。」16)
なぜ軍事拠点を標的にせず、庶民居住地区を標的にして、無警告で、しかも防空壕に退避させないようにしたうえで、原爆を投下したのか。答えは明らかです。こんごの原子戦争に備えて、原子戦争の威力と効果についての情報を集めておくことが不可欠であったからです。とりわけ性質の異なる2発の原爆――砲身型と爆縮型、あるいはウラニウム型とプルトニウム型の破壊力や軍事的有用性の違いを知る必要があった。そのため年齢・性別の点で多彩・多様な実験材料をできるだけ多数、投下地点周辺に集めておくことが必要だったからだと思われます。

空襲警報が解除されていたのはなぜか

空襲警戒警報が解除され、住民が日常生活に戻ろうとして防空壕から出てきた直後に、原爆が投下され、被害者を増やしたという点で、広島・長崎は共通しています。どうしてこのような結果となったのでしょうか。
 長崎の場合、不意打ちするためにエンジンを止めて原爆投下機が飛来し、投下した後に爆風を避けるためにエンジンを全開して飛び去ったという感想を、被爆者の美輪明宏さんは語っています。最初に飛来した偵察機が飛び去ったので、空襲警報を解除したが、その後に、本命の原爆搭載機が忍び寄ってきていたのでしょう。
 広島のばあい、つぎのような証言があります。「広島に原爆を投下したエノラ・ゲイは・・・
瀬戸内海に出て、広島上空に達した後いったん広島を通過、しばらくして反転して、原爆を投下した、というのだ。広島上空に接近した際にいったん空襲警報が発せられ、みんな防空壕に入ったのだが、何も投下せずに通過したので空襲警報が解除され、みんな外に出て来た。ところがエノラ・ゲイは旋回して舞い戻り、ピカドンと原爆を落としたというのだ。…エノラ・ゲイの航路については、なお諸説がある。だが被爆の瞬間には多数の人が外に出ていて、ごくわずかの人たちが防空壕に隠れていたというのは動かし難い事実のようだ。」17) 最初に偵察機が広島上空に飛来したが、飛び去ったために空襲警報を解除したところ、その後にエノラ・ゲイ機がやってきたというのが通説ですが、真偽のほどを究明してほしいものです。

原爆の威力――被爆者は6回も殺された

原爆の威力は、広島のばあいは1万5千トン、長崎のばあいは2万2千トンのダイナマイトを一挙に爆発させたのと同等のものでした。原爆のさく裂の際に放出された大量のガンマ線と中性子線などの初期放射線によって爆心地に近い住民の身体の分子構造に深刻な異変が生じました。自ら被爆者である物理学者の沢田昭二さんは、こう書いています。「ガンマ線の大部分は爆弾周辺の大気によって吸収され、超高温・超高圧の火球をつくった。・・・爆発の100分の1秒後には、・・・高圧の大気が火球から離れて衝撃波=空振として、(毎秒340メートルの音速で、ドンという猛烈な音をもたらしながら)広がっていった。火球の表面温度が太陽の表面温度と同程度の数千度になると、可視光線と熱線を放出し始め、地上の人々を焼き殺し、火傷を負わせ、建物に火をつけ火災を引き起こした。・・・衝撃波は、大気との圧力差で爆風を発生させ、(秒速250メートル以上に達した)爆風が人びとを吹き飛ばし、殺傷し、建造物を破壊した。・・・衝撃波によって分解された建造物は爆風で倒壊して人びとを閉じ込め、閉じ込められた人々は火災によって焼け殺された」と(括弧内は、沢田昭二さんの教示により補足した)。それだけではありません。放射性降下物や誘導放射化物質の残留放射線による外部被曝にさらされただけでなく、これらの放射性物質を呼吸と飲食を通じて体内摂取することにより、被爆者(その後の入市被曝者も含む)の身体は、長期にわたり内部被曝にさらされることになりました。18) 被爆地の民は、初期放射線の照射・熱線・衝撃波(空振)・爆風・火災・残留放射線による被曝と、つごう6回も殺されたわけです。なんという残虐な殺され方だったのでしょうか。
生者のほうも、「幸運」ではありませんでした。「原爆で殺された者をさえ、うらやまざるをえない」ような状態で放置され、希望を奪われた被爆者の間では自殺者が続出します。19)
このような惨禍をもたらした原爆投下の目的とは何だったのか。①ソ連を威圧することで戦後の世界秩序づくりを米国の有利な形で進めること、②ウラニウム型かプルトニウム型か、あるいは砲身型か爆縮型か、いずれが軍事的に有用であるかを知るためには、年齢・性別などの点で多様性に富む住民を対象とした人体実験が不可欠であったことーーこの二つが重要だったといわれます。20)
占領後に米軍は、「原爆被害者調査委員会」(ABCC)を設立し、原爆の軍事的有用性について徹底的な調査を行います。ABCC(現在は放射線影響研究所)は被爆者の健康調査をするだけで、治療をしない機関として悪評にさらされますが、機関の使命からしてそれは当然のことでした。原爆使用直後に敵の戦闘能力がどれほど破壊されるかが、軍事的有用性を評価するポイントとなるからです。放射線の影響にかんしていえば、初期放射線による外部被曝の破壊力に関心が集中し、残留放射線被曝による身体への長期的影響などは関心の外だったわけです。21)
それはともかく、広島型原爆と長崎型原爆の有用性と製造容易性を調査した結果、長崎に投下されたタイプ(プルトニウムを材料とした爆縮型原爆)のほうが優れていることが判明します。戦後冷戦期に製造される核兵器(原爆)のほとんどは、プルトニウムを材料とした爆縮型となりますが、2発の原爆投下は、そのきっかけを作ったといえるでしょう。

原爆投下後に、なぜ米国は天皇制温存の約束を発したのか

2種類の原爆を爆発させ、多種多彩な庶民を対象とした人体実験22)をなし終えた直後に、日本の降伏を「遅らせる」から「早める」方向へと、米国の対日戦略が劇的に転換します。「天皇制の維持」保証をアメとして、ソ連参戦=「日本赤化」の恐怖をムチとして使い、日本を降伏に追い込んでいく「アメとムチの組み合わせ」作戦が浮上するわけです。
米国による原爆投下の動きを察知していたソ連は、ポツダム会談時に約束していた対日開戦予定日(8月15日)をさらに6日繰り上げ、8月9日午前0時(日本時間)を期して日本にたいして宣戦布告を行い、中国東北部への侵攻を開始しました。長崎への原爆投下の11時間前のことでした。
原爆の人体実験をなし終え、その威力をソ連支配層に誇示した後の米国の支配層にとってみると、ソ連軍が中国東北部から朝鮮半島を占領する前に、日本を降伏させることが緊急課題となりました。放置しておいては、日本を降伏に追い込んだ最大の功労者はソ連であるという評価をうみだし、戦後の東アジアの統治にあたって、ソ連の発言力を高めることになります。そのため「天皇制の存続保証」というアメのカードを切ったわけです。
日本の天皇制政府にしてみても、原爆による攻撃をうけた衝撃よりも、ソ連侵攻の衝撃のほうが、はるかに強烈であったようです。ソ連軍に本土を占領される事態となれば、天皇制は打倒され、日本は「赤化」してしまうという恐怖感が身を貫いたのだろうと思います。降伏が避けられないとなったばあい、ソ連軍ではなく、米国軍に降伏する方がましだというのが天皇制政府の考え方でした。23)
ソ連参戦という事態をうけて、日本政府は8月10日、「天皇の国家統治の大権を変更するとの要求を包含し居らざることの了解の下に」ポツダム宣言を受諾するという方針を通告します。それにたいして米国政府は、ジェームズ・バーンズ国務長官の指示のもと「日本国政府の最終的形態は、『ポツダム宣言』に従い、日本国民の自由に表明された意志によって決定される」という回答を8月11日付けで送ります。24)この回答は、ポツダム宣言の条文解説という形をとりながら、「もし日本国民の多数が望むならば、連合国は天皇制の存続を容認する」と「深読み」できるように巧妙につくられていました。

バーンズ回答の限界を補う裏ルート

ただしポツダム宣言の文言に拘束されていますから、バーンズ国務長官の回答には、「天皇制の存続を確実に保障する言質までは与えられない」という限界がありました。この限界を乗り越えるためにバーンズらが編み出したのは、「本音」をマスコミにリークし、報道させるという便法だったようです。2発の原爆を投下した直後の8月11日付けの『ニューヨーク・タイムズ』は、一面トップに「日本が降伏を申し出た。米国は天皇を存続させるだろう」と報じ、翌8月12日付けの同紙は、もっと確定的に「連合国は占領軍司令長官の意向によって、ヒロヒトを存続させる」ことを決定したと報道しました。12日付けの段階では、事実上ポツダム宣言12項末尾のスティムソン原案の線に立ち戻り、「天皇制は確実に残すから、安心して降伏せよ」と呼びかけるに至ったわけです。小田 実さんは、こう述べています。「翌12日付けの『ニューヨーク・タイムズ』には、もっと驚くべきことに、前日のmay(であろう)がなくなって、ヒロヒトを残すことを決めたと書いてある。・・・これは(中立国の)スイスを通じて、天皇の耳、日本政府の耳に入っていたはずです」と。25)
対日プロパガンダ放送を担当した海軍情報局のエリス・ザカリアスや、中立国スイスの日本大使館にたいする情報工作を担当したアレン・ダレスもまた、独自のルートを使って「天皇制の存続」を保障する秘密メッセージを日本の支配層に送っていました。26) 8月14日午前に畑 俊六ら3人の元帥を引見した際、「皇室の安泰は敵側からの確約があり、それについては心配ない」と昭和天皇が述べたとされていますが、その背景には上のような事実があったのです。27)
このような「高等戦術」を編み出した中心人物は、人種差別主義の牙城たる米国南部サウスカロライナ州を地盤とするジェームズ・F・バーンズ国務長官でした。28)なおバーンズは、戦後は郷里に戻り、サウスカロライナ州知事に再選され、モルガン系のデュポン社と組んで、水爆燃料を製造する巨大なサバンナリバー・プラントを同州に誘致するうえで大きな役割を担うのですが、それは後の話となります。29)
いずれにせよ、日本を降伏させ、大量殺戮を早期に終わらせるうえで原爆投下は重要な役割りを果たさなかったのです。これまで原爆投下を正当化してきた論拠は薄弱だというほかありません。
付け加えますと、日本を降伏に追い込んだ残る2つの要因――ソ連の参戦と米国による天皇制の維持保証のうち、どちらの要因のほうが重要な役割を果たしたのかという「功名争い」をする向きがありますが、このような問題のたて方自体が間違っていると考えます。ソ連による軍事的攻撃の「ムチ」の恐怖が強ければ強いほどに、米国の提供する「アメ」の魅力が増してくるわけです。米国の権力者の視点からすると両者は「アメとムチ」の関係として一体であり、競争関係ではなく相互補完の関係にあったと考えるべきでしょう。

有色人種への偏見があったのか

 1944年9月18日、ロンドンに立ち寄った米国のロースベルト大統領は、英国のチャーチル首相と会談し、開発中の原爆の投下先について協議し、次のような合意(ハイドパーク合意)に達していました。「爆弾が最終的に使用可能となった際には、慎重な考慮のうえで、日本人にたいしておそらく使用されるであろう。降伏するまで何回も投下を繰り返すから覚悟せよと日本人には警告しておくべきだ」と。
 ヒットラーの率いるドイツが降伏するのは1945年5月8日ですから、1944年9月といえば、ドイツ軍も日本軍も米国にたいして抗戦中の時期です。なぜこの段階でドイツ人への原爆使用をいち早く断念し、原爆の投下先を日本人に絞ったのでしょうか。すでにドイツ軍の敗色が濃厚であり、原爆完成時にはドイツは降伏している可能性が高いと判断されたからだというのが通説的見解ですが、この見解は正しいのでしょうか。大戦中に米国政府はドイツ系移民には何の隔離措置もとらなかったのですが、日系人にだけは、人里はなれた収容所に強制移動させられ、隔離収容された事実があります。このことが示すように、有色人種である日系移民は、「イエロー・モンキー」(黄色猿)と見なされ、「野獣に対処するには、相手を野獣として扱うほかない」(トルーマン)30)という措置がとられたのではないか、このような有色人差別の考えが横たわっていたのではないかという疑問が出てきます。31)
「当初から原爆投下の対象は日本であった」と原爆製造計画の責任者のグローブズ将軍が述べているなど、ハイドパーク協定以前に日本への原爆投下は事実上確定していた可能性があると木村さんは主張されていますが、32)確かな結論を出すにはなお証拠不足です。日本への原爆の無警告投下を推進したジェームズ・バーンズが、黒人差別制度の牙城であった深南部のサウスカロライナ州政界の大立者であっただけに、この行動には人種差別的な志向性が働いていた可能性がありますが、これらの解明は、今後の課題としたいと思います。

ローズベルトが生きていたら悲劇は避けられたか

ご承知のとおり、ローズベルト大統領は1945年4月12日に突然死亡し、副大統領であったハリー・トルーマンが大統領職を襲います。北東部出身のインテリでリベラルなローズベルトにたいして、トルーマンは辺境南部のミズーリ州の田舎町の出身で、教養レベルが低い「小物」であり、保守的で人種主義的な傾向の強い人物でした。もしローズベルトが生き続けていたならば、広島・長崎のあのような悲劇は避けられたのでしょうか。この問いに自信をもって答えるのは、誰にとっても難しいのですが、ピーターはこのように答えています。リベラルなローズベルトにしても、おそらく原爆の使用を阻止することは難しかっただろうが、原爆使用のありかたが変わった可能性はある。なぜなら「ローズベルトはまず警告、そして威嚇使用をしたうえでの原爆投下を考えていて、その場合も厳密に軍事施設を対象とするつもりであり、民間人に対して落とすことについては反対」したであろうと。33)ローズベルトが職に留まっていたら、原爆使用の人体実験的性格は薄まった可能性があると私も考えますが、最終的評価はこんごの研究課題としたいと思います。

ガンジーの慧眼、マッカーサーの複雑さ

1946年7月7日付の『ハリジャン』紙に、M・K・ガンジーは「原子爆弾 アメリカと日本」という論説を寄せました。そこで彼はこう書いています。「日本が下劣な野心を貫こうとして行った犯罪を私が弁護しようとしていると早合点しないでください。違いは程度の差にすぎません。日本の強欲のほうがいっそう下劣であったとしましょう。しかし日本が、どんなに下劣であったとしても、日本の特定地域の男、女、子供たちを、情け容赦もなく殺してしまうという下劣なことをやってよい権利はだれにも与えられていません。・・・原子爆弾は、連合国の武器に空虚な勝利をもたらしたにすぎません。ここしばらく、日本の魂は破壊されてしまっているでしょう。爆弾の投ぜられた国の魂にどのようなことが起こるか、本当にわかるには時間が短すぎます」と。
最大にして無限の暴力といってよい原爆(そして今福島で体験している原発)の出現にたいして、脱出路をどこに求めたらよいのでしょうか。同じ論説のなかで、ガンジーは、こう語っています。「・・・原爆という最高の悲劇から正しく引き出される教訓は、暴力がこれにたいする暴力によって絶滅できないのと全く同じで、原爆は、逆の原爆によっては絶滅されないということである。人類は、只一つ、非暴力を通じてのみ、暴力から出てゆかなければならない。憎しみの克服は愛を通じて実現される。憎しみに対して、憎しみでむくいるならば、憎しみの深さを強めるだけだ。」(天野恵一「ガンディーの非暴力=反核の思想」『ピープルズプラン』54号、2011年6月、150ページ)。
「闇と光」という論説のなかでも、いっそう明確に彼は、こう書いています。「暴力の究極の弱点は、破壊しようとする当のものを生み出してしまう悪循環でしかないことだ。暴力によってウソつきを殺すことはできてもウソを殺すことはできないし、真実を確立することもできない。暴力によって憎しみを抱えたものを殺すことはできても、憎しみを殺すことはできない。反対に、暴力は憎しみを増大させるだけだ。そして、その連鎖に終わりはない。・・・暴力を暴力で返すことは、暴力を増殖し星のない夜の闇をさらに深めてしまう。闇に闇を追い払うことはできない。それができるのは光のみ。憎しみに憎しみを消し去ることはできない。それができるのは愛のみだ」と。
ガンジーの論説が出て1年余り後、「爆弾の投ぜられた国の魂」は憲法9条を生み落としました。産婆役になったのは、若き日に外交官として1928年のパリ不戦条約交渉に参加した経験をもつ日本の幣原喜重郎首相であり、幣原のリーダーシップに支持を与えた占領軍最高司令官のダグラス・マッカーサー将軍でした。
マッカーサー将軍は、朝鮮戦争で原爆使用を主張し、トルーマンに解任されることになりますが、水爆出現以降の原子戦争では、これまでのような勝者と敗者の区別が消え去ること、人類全体の共滅を招きかねないことに気づき、衝撃をうけるようになっていました。じっさい、1951年5月5日の上院の公聴会でマッカーサーは、マクマホン上院議員との間で、次のような質疑応答を行っています。「マクマホン上院議員:さて元帥、問題全体を解決する方策を見つける上で、何かわれわれに希望を与えるお考えをお持ちですか?
マッカーサー元帥:それは・・・戦争の廃止です。もちろんそれが達成されるまでは何十年もかかるでしょうが、スタートしなければなりません。中途半端ではダメなのです。皆さんは核戦争の専門家としてそれを知るべきです。・・・日本(の憲法9条)にその偉大な例証があるのですから。」34)
1955年の米国退役軍人協会総会の記念講演でも、彼は次のように説いています。「皆さんは直ちに反問されるかもしれません。『戦争の廃絶は幾世紀もの間、人類の夢であったことは確かだが、この理想の実践は、不可能であり、空想的だとして、ことごとく放棄されてきたのではないか』と。・・・しかし核兵器をはじめ兵器が驚くべき進化をとげた結果、戦争の廃絶が、宗教的・道徳的な問題ではなく、科学的リアリズムの問題として再び浮上してきたのです。・・・・私たちは新しい時代に生きています。古い方法や解決策は、もはや役立ちません。私たちには新しい思想、新しいアイデンティティ、新しい発想が必要なのです」と。35)
インドを独立に導いたガンジー・ジーの慧眼に驚くとともに、「核の時代」を生きたマッカーサーという軍人の複雑さにも注目したいと思います。

残された3つの課題

本稿では、何らかの程度で天皇制存続の保証をあたえておけば、原爆を投下せずとも、日本の支配層は敗北を受け入れたであろうという側面を強調してきました。これにたいして、日本の軍国主義者や天皇主義者を冷戦体制に取り込もうとしたジョセフ・グルーなどの反共保守主義者の役割を評価しすぎているのではないかという意見が出されるかもしれません。この保守的路線が戦後の対日政策の中軸に座ったために、むしろ侵略戦争に無反省の旧体制派が日本社会に根強く生き残る結果となり、アジアとの民衆レベルでの和解が不十分となったのではないか、という反論もありうるでしょう。
いま一つは、トルーマンやバーンズら米国支配層の原爆投下責任の重さをどう測ったらよいかという問題です。侵略戦争を開始し、1千万人に達するユダヤ人や共産主義者を殺害したアドルフ・ヒットラーのホロコースト責任とハリー・トルーマンの原爆投下責任の重さとは同等のものでしょうか。侵略戦争を遂行するなかで犯された蛮行と、侵略された国を解放する戦争のなかで犯された蛮行とでは位置づけや意味は、どの程度異なってくるものなのでしょうか。
第3に、トルーマンやバーンズの犯した原爆投下を「戦争犯罪」としたばあい、彼ら(あるいはその後継者)には、どのような罰を与えるべきかという問題です。「かりに日本軍が原爆開発に成功していたとしたら、人道的観点から日本側は原爆投下を踏みとどまっただろうか」と授業の中で質問すると、「日本軍だって、起死回生の手段として原爆を使っただろう」と、ほとんどの学生が予測します。時代の文脈から切り離し、個人だけを罰して、こと足れりとするわけにいかないのです。
長崎県原爆被災者協議会の事務局長の山田拓民さんは、「原爆学習の旅」に参加した世界の学生にたいして、毎年こう説かれます。「米国政府には、原爆投下という蛮行をおかしたことを謝罪してほしい。ただし私は、米国に補償金を請求しようとまでは思わない。そうではなく核兵器廃絶の先頭にたつことを要求したい」と。みなさんは、どのようにお考えですか。



1)木村 朗/ピーター・カズニック『広島・長崎への原爆投下再考――日米の視点』2010年、法律文化社、102ページ。
2) ユニークな「原爆学習の旅」発足の経緯を説明しておく。1994年8月23日の昼下がり、
 直野章子(現在は九州大学准教授)という学生が私を訪ねてきた。被爆2世であること、アメリカン大学(AU)を2か月前に卒業したが、原爆投下をめぐる米国人の意識水準の低さにショックをうけてきたと直野さんは語った。戦後50周年にあたる1995年度のAUの夏セッション科目として、原爆投下を学ぶ新科目の開設を求める請願運動を始めたい。ついては請願の賛同者になるとともに、新科目が設置された暁には、日本での研修プログラムの実施に協力してほしいと要請された。彼女の熱意に心を打たれ、可能な支援を約束した。
数ヵ月後、請願運動が功を奏して、95年度のAUの夏セッション科目に「核の歴史――ヒロシマ・ナガサキを超えて」が特設されることになり、ピーター・カズニック教授が担当教員、直野さんが企画担当職員となったという吉報が届いた。同じ頃、スミソニアン航空宇宙博物館が企画していた原爆展が、米国各界の反発をよびおこし、中止されるという事件がおこった。出品を予定して米国に渡っていた被爆資料が宙に浮いた。そこで直野さんが中心となって、AUで被爆資料の展示を引き受けることになった。「もう一つの原爆展」は1995年の6月に開かれ、広島市長はじめ、多数の被爆者がAUを訪れる機会となった。
95年8月初めに、ピーターと直野さんに引率されて、AUの学生8名が、立命館大学の国際平和ミュージアムにやってきた。私は、平和学の受講学生から10名のボランティアを募り、京都・広島をめぐる1週間の旅を共同実施した。96年以降もひきつづき、AUはこの科目を開設し、ピーターは、毎夏10名から15名の学生を引率して、京都・広島・長崎の地を訪れるようになった。対応して立命館側も97年度以降は、このプログラムを国際平和交流セミナー科目(2単位)として公認し、私が引率教員となった。両大学共同企画の「原爆学習の旅」は、こうして始まり、2010年で16回目を迎えたわけである。
3)木村 朗/ピーター・カズニック『広島・長崎への原爆投下再考――日米の視点』2010年、85ページ。
4)岩松繁俊『戦争責任と核廃絶』1998年、三一書房。
5) 進藤栄一『戦後の原像――ヒロシマからオキナワへ』1999年、岩波書店、232頁。仲 晃、『黙殺――ポツダム宣言の真実と日本の運命(上)』2001年、288頁。長谷川 毅『暗闘――スターリン、トルーマンと日本降伏』2006、中央公論新社、第3・4章、とくに197・247頁。ジム・B・スミスほか『ラスト・ミッションーー日米決戦終結のシナリオ』2005年、麗澤大学出版会、195-197頁。
6) 木村 朗/ピーター・カズニック、前掲書、2010年、19ページ。
7)進藤栄一『戦後の原像ーーヒロシマからオキナワへ』1999年、岩波書店、232頁。
8)杉原誠四郎『日米開戦とポツダム宣言の真実』1995年、亜紀書房、12-31頁。
9)進藤栄一『戦後の原像ーーヒロシマからオキナワへ』1999年、岩波書店、202頁。仲 晃
『黙殺(上)』2000年、288頁。長谷川 毅『暗闘――スターリン、トルーマンと日本降伏』
2006年、中央公論新社、3・4章、とくに197・247頁。ジム・B・スミスほか『ラスト・ミ
ッション――日米決戦終結のシナリオ』2005年、麗澤大学出版会、195-197頁。
10)木村 朗/ピーター・カズニック、2010年、96ページ。
11) ガー・アルペロビッツ『原爆――投下決断の内幕 上・下』1995年、ほるぷ出版、なお
1996年の夏、ガー・アルペロヴィツさんが、AUの「核の歴史」講座の客員教員となり、原爆投下をめぐる自説を講義してくれた。当時AUに留学していた私は、進藤栄一さん(当時筑波大学)を誘って、ガーの授業に参加し、そのクリアな主張に感銘をうけたことがある。直野さんがAUの学生時代、ガーの助手を務めておられたことも思い出す。
12)仲 晃『黙殺(上)』2000年、60頁。
13) 進藤栄一『戦後の原像』、238頁。
14)木村 朗/ピーター・カズニック、2010年、19ページ。
15)仲 晃『黙殺(上)』2001年。
16) 美輪明宏「表現者が向き合う原爆」『週刊金曜日』810号、2010年8月6日号、17頁。
17)春名幹男「核密約」『世界』2010年5月号、185頁。
18)沢田昭二「被爆実態に基づく広島・長崎原爆被害の実相」『季論 二一』2010年夏号、55頁。
19)石田 忠「原爆死をどう考えるか」『科学と思想』86号、1992年10月。
20)木村 朗/ピーター・カズニック、2010年、25―28ページ。木村 朗「ヒロシマ・ナガサキーー今こそ『原爆神話』の解体を」『週刊金曜日』07年8月10日号。
21)矢ケ崎克馬『隠された被曝』2010年、新日本出版社、肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威――原爆から劣化ウラン弾まで』2005年、ちくま新書。また笹本征男『米軍占領下の原爆調査』1995年、新幹社も参照。
22)原爆投下の人体実験としての特質を喝破した開拓者的な業績は、芝田進午「被爆50年 これからの課題――人体実験としての原爆」『平和文化研究』19・20合併号、長崎総合大学、1997年。
23)長谷川 毅『暗闘――スターリン、トルーマンと日本降伏』2006年、中央公論新社、西嶋有厚『なぜ原爆は投下されたか』1968年、青木書店。
24)ガー・アルペロビッツ『原爆投下決断の内幕 上』1995年、ほるぷ出版、23章・606頁。
25)小田実・上田耕一郎「戦争と戦後60年」『経済』05年10月号、87頁。
26)有馬哲夫『アレン・ダレスーー原爆・天皇制・終戦をめぐる暗闘』2009年、講談社。
27)有馬哲夫『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』2009、平凡社新書、149頁。
28)ロナルド・タカギ『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したか』1995年、草思社、56頁。
29)藤岡 惇『サンベルト米国南部』1993年、青木書店。やや正確さに難があるが、鬼塚英昭『原爆の秘密(国外篇』)2008年、成甲書房も参照。
30)バートン・バーンスタイン「検証・原爆投下決定までの三百日」『中央公論』1995年2月号 
31)岡井 敏『原爆は日本人には使っていいな』2010年、早稲田出版、4-10ページ  
32)木村 朗/ピーター・カズニック、2010年、18ページ。
33)木村 朗/ピーター・カズニック、2010年、196ページ。
34)伊藤成彦「憲法9条はどこから来たか」『軍縮問題資料』1997年5月号、30頁。
35)『非核・非暴力・いのち・平和』10号、2010年2月、岡本非暴力平和研究所。

Saturday, July 23, 2011

長崎で原爆投下決定を考える-日米専門家による公開セミナー(8月8日) Public Seminar on Atomic-bombing in Nagasaki (August 8)

 This is a notice of a public seminar to be held in Nagasaki on August 8, on the history of atomic-bombing of Hiroshima and Nagasaki, with specific emphasis on the second atomic bomb dropped on Nagasaki. Guests include Sumiteru Taniguchi, a Nagasaki atomic-bomb survivor, Akira Kimura and Peter Kuznick, authors of book "Re-thinking Atomic-bombing of Hiroshima and Nagasaki: Japanese and US Perspectives" (Horitsu Bunkasha, 2010. See book review.). See below for details. Japanese-English and English-Japanese translation is provided for this event.

長崎8月9日の式典。長崎市ホームページより

8月1-10日、立命館大学とアメリカン大学合同の広島長崎平和学習の旅を行いますが、その一環として、今年は長崎で8月8日、公開講座を行います。当日長崎にいらっしゃる方はぜひご参加ください。

『広島長崎への原爆投下再考-日米の視点』(法律文化社 2010年 木村朗/ピーター・カズニック著 乗松聡子訳 藤岡惇・乗松聡子の寄稿あり)はこのサイトでも何度も紹介しております。書評はこちらをご覧ください(週刊金曜日 中国新聞  長崎新聞、図書新聞)。


『広島長崎への原爆投下再考 - 日米の視点』
の出版を記念する公開セミナー
―米国はなぜ2発目の原爆を投下したのかー
A Public Seminar to Commemorate Publication of
"Re-thinking the Atomic-bombing of Hiroshima and Nagasaki "
 - Why the US dropped the second atomic bomb -
  
とき:2011年8月8日(月)午前9時30分から12時20分
9:30 AM - 12:20 PM, August 8 (Mon.)

ところ:長崎原爆被災者協議会(被爆者の店)地下大会議室
Large Conference Room, at the basement of Nagasaki Atomic Bomb Survivors' Council (Hibakusha Shop)

長崎市 岡町8−20、平和公園の横。8-20, Oka-machi, Nagasaki-shi. (Beside Nagasaki Peace Park)

米国の首都にあるアメリカン大学と京都の立命館大学が軸となって、世界の学生が参加する「原爆投下を学ぶ旅」を初めて、今年で17回目となります。毎年8月には、30-40名の学生が長崎の皆様のお世話になってきましたが、ことしは70名という大人数で長崎にまいります。

米国のトルーマン政権は、何ゆえに、ポツダム宣言の原案から「天皇制の維持」を匂わす一節を削除し、2発の原爆を投下するまでは、日本の降伏を許さなかったのでしょうか。原爆を投下した直後に態度を急変させ、日本を降伏に誘ったのはなぜでしょうか。広島への投下の3日後に無警告で、庶民の居住する地区に落とそうとしたのはなぜでしょうか。

これらの問題を解明しようと、2年前に長崎の地で市民講座を開きました。この成果が、木村 朗・ピーター・カズニック『広島・長崎への原爆投下再考――日米の視点』(法律文化社)という本になりました。この本の出版を記念するとともに、核の惨事がフクシマに広がっている新たな事態を見すえて、公開市民セミナーを開きます。この本を書いた4人の方に、日米両国の最新の知見にもとづいて、縦横に語っていただきます。ご参加をお待ちしています。
                      
第1部(9:30-10:10) Part I
「原爆被災の体験と私の思い」 "My experience of the a-bomb and my thoughts"
谷口稜曄(たにぐち・すみ てる)さん(長崎原爆被災者協議会・会長)
Sumiteru Taniguchi, President of Nagasaki Atomic Bomb Survivors' Council

第2部(10:20-12:20)
 「明らかになってきたナガサキへの原爆投下の真相
    ――『広島・長崎への原爆投下再考:日米の視点』の著者たちが語る――」
Truth of the Nagasaki atomic-bombing
- Panel by authors of "Re-thinking Atomic-bombing of Hiroshima and Nagasaki: Japanese and US Perspectives" (Horitsu Bunkasha, 2010)

ピータ・カズニック(アメリカン大学教授)、 木村 朗(鹿児島大学教授)、  
乗松聡子(ピースフィロソフィセンター・カナダ)、 藤岡 惇(立命館大学教授)
Speakers: Peter Kuznick (American University), Akira Kimura (Kagoshima University)
Satoko Norimatsu (Peace Philosophy Centre), Atsushi Fujioka (Ritsumeikan University)

司会者  山根 和代 (立命館大学准教授)
Moderator: Kazuyo Yamane (Ritsumeikan University)

★この催しは英語逐次通訳がつきます。
Japanese-English and English-Japanese translation is provided for this event. 

公開セミナー実行委員会 Public Forum Organizing Committee

共催・長崎原爆被災者協議会・ピースフィロソフィーセンター
Nagasaki Atomic Bomb Survivors' Council / Peace Philosophy Centre

参加無料。Free Admission

(連絡先:藤岡 惇 Inquiries: Atsushi Fujioka fujioka@ec.ritsumei.ac.jp)

Friday, July 22, 2011

ECRRクリス・バズビー論文「福島の破局的事故の健康影響」日本語訳 Japanese Translation of ECRR Chris Busby's Paper "The Health Outcome of the Fukushima Catastrophe"

This entry introduces a Japanese translation of a paper written by Dr. Chris Busby, Scientific Secretary of ECRR (European Committee on Radiation Risk) "The health outcome of the Fukushima catastrophe - Initial analysis from risk model of the European Committee on Radiation Risk ECRR." See this LINK for full original text in English.  Translation is by Hiroko Suzuki and Satoko Norimatsu, and supervised by Michiyuki Matsuzaki, M.D. Also see an interview with Chris Busby in the Asia-Pacific Journal: Japan Focus "Fukushima Is Worse Than  Chernobyl - on Global Contamination," of which an abbreviated translation was run in the July 8 edition of a Japanese weekly magazine Shukan Kin'yobi.

7月17-21日、日本各地で講演や記者会見を行ったECRR(欧州放射線リスク委員会)のクリス・バズビー氏が、3月30日に出した論文は、今後10年に福島第一200キロ圏内で20万人、今後50年には40万人もの超過ガンが発生するとの予測をしました。多くの関連記事や専門家インタビューで引用されているにも関わらず、まだ公式日本語訳が用意されていませんでした。今回、バズビー氏の許可を受け、北海道の内科医、松崎道幸さん監訳、翻訳家の鈴木宏子さんと、Peace Philosophy Centre の乗松聡子の翻訳で、日本語訳を発表します。

(クリス・バズビー氏についてのこのブログの関連過去記事は、『週刊金曜日』7月8日号に掲載されたインタビューをご覧ください。バズビー氏の来日時の講演の記録は、きくちゆみさんのブログ木下黄太さんのブログをご覧ください。)

日本語版は下方に画像ファイルで掲載しますが、Google Doc からのダウンロードは、以下のリンクからどうぞ。

ここをクリック → 『福島の破局的事故の健康影響 欧州放射線リスク委員会(ERCC)のリスクモデルに基づいた解析第一報 』

英語の原文はここにあります。
http://www.bsrrw.org/wp-content/uploads/2011/04/fukusima-health-ECRR.pdf

以下、この論文の「結論と勧告」を抜粋します。

1.ECRRリスクモデルにより福島事故の100キロ圏の住民300万人に対する健康影響を検討した。100キロ圏内に1年居住を続けることにより、今後10年間で10万人、50年間でおよそ20万人がガンを超過発病すると予測された。直ちに避難を行うことでこの数字は大きく減少するだろう。100キロ圏と200キロ圏の間に居住する700万人から、今後10年間で10万人、50年間で22万人が超過発ガンすると予測された。これらの予測値は、ECRRリスクモデルおよびチェルノブイリ事故後のスウェーデンでの発ガンリスクに関する疫学調査に基づいて算定されたものである。

2.ICRPモデルは、100キロ圏での超過発ガン数を2838人と予測している。したがって、福島事故によるガンの最終的な超過発生数が分かるときに、どちらのリスクモデルが適切かの答えがでるだろう。

3.日本の文部科学省が公表したガンマ線量の公式データは、一般的に承認された科学的手法を用いて、測定箇所の地表汚染レベルを逆算するために使用できる。その結果、IAEAは汚染レベルを明らかに低く見積もった報告を行っていることが分かった。

4.放射性同位体別の地表汚染レベルの測定を緊急に実施することが必要である。

5.100キロ圏の北西部に居住する人々は直ちに避難し、その地域を立ち入り禁止とすべきである。

6.ICRPリスクモデルを廃棄し、すべての政治的決定をECRR www.euradcom.orgの勧告に基づいて行うことを求める。これは、2009年のレスボス宣言に署名した著明な放射線リスク専門家が出した結論である。

7.一般国民から意図的にデータを隠した者に対しては、調査のうえ法的処罰を与えるべきである。

8.メディアを通じて今回の事故の健康影響の過小評価をもたらす行為を行った者に対しても調査のうえ法的処罰を与えるべきである。

ぜひこの論文が幅広く読まれるように広めてください。バズビー氏の予測は、その数字の深刻さから、攻撃を受けることもあります。しかし論文の結論が気に入らないからといって否定する理由にはなりません。その結論に導くまでの前提条件と方法論、分析と結論を把握した上で、専門家から一般まで幅広く読まれ、内容が議論される必要があります。そういう意味でもこの日本語版の意義は大きいと信じます。

日本語版はリンクを記した上での一部引用は自由ですが、転載をご希望の場合は許可を取ってください。info@peacephilosophy.com までお願いします。

以下が本文です。こちらのリンクからもPDFダウンロードできます。コメントやご意見などは、info@peacephilosophy.com か、この投稿のコメント欄にお願いします。

画像の上でクリックすると大きく見られます。




Thursday, July 21, 2011

ベラルーシの放射線防護研究所による「農作物への放射能対策」 "Countermeasures against radionuclide for agricultural products" by a Belarus radiation protection organization

ベラルーシの放射線防護研究所、「ベルラド研究所」による「農作物への放射能対策」の日本語版が発表されました。コーディネート・編集・翻訳を担当した大下雄二さんから提供された日本語版をここに掲載します。研究所所長のネステレンコ博士は、ロシア語の原文を英語に訳してくれたということで、この日本語版は英語版からの翻訳ということです。東北をはじめとする日本の農業関係者の方にぜひ紹介してください。ベルラド研究所は、「もし皆様が農作物等への放射能の取り込みを低減させる技術を直接詳しくお知りになりたいのならベルラド研究所では日本からの招待を受ける用意があります」と言っています。詳しくは下記をご覧ください。

(このブログの関連過去記事:アレクセイ・ヤブロコフ「過小評価ではなく影響を最小限にする対策を」

論文は以下に画像ファイルで掲載しているほか、下記リンク(Google Doc)からダウンロードできます。



日本の皆様へ

私は、地震と津波による犠牲者とそのご家族の皆様に心より同情申し上げます。また福島第一原子力発電所事故の大災害により被害を受けられた皆様に、全く同じ魔の放射能の中にほぼ 25 年の間曝されてきたベラルーシの人々を代表しまして、私は皆様がくじけず自信を失われないことを願っております。また私どもが得た、以下にお示しした経験がいくらかでも貴国においてお役に立てますよう心より願うものであります。私たちは生き抜くことが出来るのです!

ベルラド研究所所長 アレクセイ・ネステレンコ

2011年7月20日
所長のネステレンコ博士のメッセージで始まるこの論文は、「1.表土の改善」、「2.土地の抜本的改良」、「3.菜園と庭では、次のアクションを実行するのが、望ましい」の3部からなり、チェルノブイリ事故による汚染に対処した長年の経験と調査研究にもとづいた具体的な農地の放射能対策を提案しています。

最後の団体紹介の部分と、子どもの内部被曝を軽減した実績のあるペクチン食品混和剤「ヴィータペクト」の紹介がありますので抜粋して紹介します。

放射線防護研究所“ベルラド”について

放射線防護研究所“ベルラド”(ベルラド研究所)は、1990 年に政府とは独立した組織として設立されました。ベルラド研究所がゴールとするところは、チェルノブイリゾーンの住民や食品等の放射能をモニターすること、放射能の測定管理の発展に寄与すること、放射能によって汚染された地域の人々に対して必要な科学的調査を実施することによって放射能から人々を守ること、またこれら実施内容の結果をより発展させ組織化することです。

研究所の科学的活動の主な目的について

・子供たちの体内のセシウム 137 の蓄積をホールボディカウンダーにより監視し、ペクチンの服用により放射能から守ること。
・食品に含まれる放射能を管理する地域センターをネットワーク化し、放射能の危険を人々に知らせること。
・ベラルーシでの放射能に関わる事業として線量計や食品に含まれる放射能を検査する機器の製造とその発展に関わること
・ペクチン食品混和剤“ヴィータペクト(Vitapect)”の生産に関わること
・子供たちを放射能から守るため、チェルノブイリ地域の教員や親に対する放射能環境教育のためのセンターを組織すること

1990 年よりベルラド研究所は、地方放射能管理センター(LCRC)において、食品に含まれるセシウム 137 の測定を行っております。LCRC は、チェルノブイリの被害を克服するため国家委員会から経済的な支援を受けた(学校や救急施設などの)地方協議会により設立されました。これら LCRC は、チェルノブイリ原発事故によって影響を受けたゴメリ、ブレスト、モギリョフ、ミンスクの各地域で最も大きな村々によって作られました。現在ベラルーシでは 83 の LCRC があり、内 23 はドイツからの人道的経済支援により運営されています。ベルラド研究所のデータバンクは、食品に含まれる放射能の検査データを 32 万件以上有しております。私どもは、セシウム137のレベルが、放射能の共和国公衆上限レベル(RDU)を超えないようにする技術を確立し、この技術はホールボディカウンターで子供たちの体内組織にある放射性同位体を確定し監視する場合の基本としています。研究所では、ホールボディカウンター研究室(WBC)を設立し、ベラルーシ共和国研究施設認証システムにより、その独自性と技術的能力に対して認証を受けました。(認証番号 BY/112 02.1.0.0385)研究室が所有する全部で 7 機のホールボディカウンター(SCRINNER-3М)とマイクロバスは、ドイツ、アイルランド、アメリカ、ノルウェイのチェルノブイリ慈善団体による経済援助により購入されました。
ベルラド研究所 農作物への放射能対策

研究所では、遠征隊を組織し、ベラルーシ共和国内のチェルノブイリで汚染された地域の学校で子供たちの体をホールボディカウンダーでの測定や、子供たちの遊び場の放射能の測定をしています。1996 年から 2001 年には、ベルラド研究所ではゴメリ、ブレスト、ミンスク、グロドノ、ビテブスクの各地域で12万 5000人以上の子供たちの体をホールボディカウンターで測定しました。この子供たちの測定結果は、放射能への防護対策を実施するためにベラルーシ共和国の厚生省や地方自治体へ送られます。体内の臓器に広い範囲で放射能が蓄積している子供たちのリストは、ベラルーシやアイルランド、ドイツ、フランス、アメリカ、オーストリアの慈善団体に提示され、改善が必要なグループの中に入れられます。

2000 年の 4 月からベルラド研究所は、ベラルーシ厚生省の認可を受け、ペクチン食品混和剤のヴィータペクトの製造を開始しました。ヴィータペクトは、りんごペクチンをベースとして 7 種類のビタミンと 4 種類の微量元素から成っています。フランスやウクライナでも同様のものが製造されていますが、ヴィータペクトはそれより 2 分の 1から 3 分の 1 位価格が安くなっています。ヴィータペクトは放射性核種や重金属を体内の臓器から効果的に取り除きます。2001 年 6 月、当研究所は、フランスの医師らと共同でヨーロッパ基準に基づいた二重“ブラインド”メソッドによるヴィータペクトの効果を実験しました。

これによると 21 日間に渡って子供たちにヴィータペクトを服用させたところ 32 人の子供たちの体内からセシウム 137 が(平均で)66%減り、一方で同時に偽薬を服用したグループではわずか14%しかセシウムが減らないという結果となりました。もし皆様がこのような情報に関心を持たれたのなら、もし食品の放射能を検査されたいのなら、またホールボディカウンターで測定をされたいのであれば、もしくはヴィータペクトを手に入れたいとお考えであるならば“ベルラド”放射線防護研究所にご連絡いただくかお越しになっていただきたいと存じます。

もし皆様が農作物等への放射能の取り込みを低減させる技術を直接詳しくお知りになりたいのならベルラド研究所では日本からの招待を受ける用意があります。

ベルラド研究所の連絡先:

住所: 2 Marusinsky pereulok 27. Minsk. 220053. Belarus
電話番号: +375 17 289 03 83 Fax: +375 17 289 03 84
E メールアドレス: belrad@nsys.by  (お問合せ等は英語でお願いします)
U R L: http://www.belrad.nsys.by/ 

この論文の日本語版製作者氏名:

コーディネート・編集・翻訳:大下 雄二
(連絡先 radecontamination@gmail.com )
翻訳協力:中野 廣幸(産業通訳・翻訳・一般計量士)
以下、本文です。各ページはクリックすれば大きく見られます。文書はここからもダウンロードできます。


福島大学と日本原子力研究開発機構(JAEA)の協定への疑義: 浦田賢治 Lawyer poses quesitons over academic agreement between Fukushima University and Japan Atomic Energy Agency

News came in on July 21 that Fukushima University and Japan Atomic Energy Agency (JAEA) formed an agreement for academic collaboration, one that allows JAEA to establish a lab within the campus of Fukushima University and engage in research for effective cleansing of radioactive materials and so on. I immediately suspected conflict of interest, as JAEA is a research organization for advancing nuclear technology, including the infamous fast-breeder reactor Monju project. Then Kenji Urata, lawyer and a professor emeritus of Waseda University, and Vice Chair of IALANA, International Association of Lawyers Against Nuclear Arms, offered a public letter of inquiry that raises serious questions of this agreement, such as lack of information disclosure within the university community, and the danger of Fukushima University collaborating with activities of pro-nuclear JAEA. (Satoko Norimatsu, Peace Philosophy Centre)


7月21日の福島民報に次のような報道が流れた。福島大学構内に日本原子力研究開発機構(JAEA)が研究室を持ち、除染技術の共同研究などをするという。福島県は県として「脱原発」の方向性を確認した中、地元の大学に原子力を推進する研究機関が入って利害の葛藤が起こる恐れはないのかと、不審に思った。
福大と原子力機構が協定 放射能の研究強化 http://www.minpo.jp/view.phppageId=4107&blockId=9868507&newsMode=article 
福島大と日本原子力研究開発機構は20日、連携協力に関する協定書を締結した。大学構内に研究室を新設し、放射性物質除去の技術開発などを進める。
 研究室にはゲルマニウム検出器を導入し、土壌に含まれる放射線量を計測し除染技術などを開発する。空間放射線量の常時モニタリングや放射能汚染の生態系への影響の調査研究も予定している。
そうしたら、早稲田大学名誉教授、国際反核法律家協会副会長の浦田賢治さんから、まさしくこの問題についての寄稿があった。以下、この協定に大きく疑義を呈す公開書簡を紹介する。(青字はブログ運営者が重要と思った部分である。)



原発の存続・拡散は人道に対する犯罪である

――福島大学役員会および同教育研究評議会に対する公開書簡


浦田賢治

早稲田大学名誉教授
国際反核法律家協会(IALANA)副会長
日本学術会議・元会員(13,14,15期)

2011年7月18日

さる6月21日開催の福島大学教育研究評議会に対して、同大学役員会が行なった報告には、教員控室等の掲示によれば、日本原子力研究開発機構(JAEA)と福島大学が、次の5項目にわたる協定(以下、今回協定という)を締結することが含まれております。

1.双方が保有する研究施設・設備の共同利用等、2.共同研究等の研究協力、3.人材の交流
4.人材の育成、5.双方が合意したその他の連携協力活動

これは、きわめて包括的な定めかたをしており、また双方が合意することは何でもできる定めであると読むことができます。したがって、各項目の内容は実施計画などに委ねられるものと思われますが、この文書が未だ明示されておりません。今回協定文書の調印に先立ってこれを作成し、少なくとも学内関係者に明示することが、事態の重大性に照らし必要であります。

今回協定の締結に先立ちJAEAは、5月6日付けをもって「福島支援本部」を新設して、福島第一原発事故の最終的な収束に向けた中長期的な技術的課題の解決に貢献する体制を構築することとした旨公表しました。他方でJAEAは5月8日、福島大学の協力を得て、学校等の校庭・園庭の空間線量低減のための当面の対策に関する検討を行いました。しかしながら、今回協定が構想する作業は、事故の最終的な収束にむけた作業にかかわることから広範かつ中長期的なものであり、こうした当面の対策活動とは次元を異にする性格をもつものとおもわれます。

そこで今回協定の意味と問題点について判断するためには、つぎの諸点の認識が前提となります。とりわけ東日本大震災後の緊急事態のなかにあっても、当契約の相手方であるJAEAは本来強力な原発推進機構であることを直視することが肝要であります。単なる調査・研究・教育機関ではありません。これまで、原子力基本法に定められた唯一の「原子力の開発機関」として活動してきました。しかも「日本原子力研究開発機構法」では、JAEAの目的および業務に、原子力の「安全」は明示的されていません。「安全」ではなく、きわめて危険な開発、すなわち「核燃料サイクルを確立するための高速増殖炉及びこれに必要な核燃料物質の開発並びに核燃料物質の再処理に関する技術及び高レベル放射性廃棄物の処分等に関する技術の開発を」行うのです。原発の副産物にはプルトニューム239がありますが、この半減期は実に2万4千100年にわたり、半永久的に環境を汚染します。これが体内に沈着すれば癌や遺伝的な影響を引き起こし、将来世代に深刻な結果をもたらします。ウランの採掘から高レベル放射性廃棄物の処分にいたる核燃料サイクルは、人類文明の数千年の歩みを振り返っただけでも、最も危険な存在であります。

しかも核燃料サイクルの運用について、一般に国も事業者も事故の隠蔽、その偽証、さらに過小評価をしてきたため、専門家と一般民衆から国も事業者も信頼されないという結果を生んでおります。また最近のJAEAについて例えば、次のように報道されております。JAEAは、いま、もっとも危険な「もんじゅ」の稼動にむけた作業をすすめています。もんじゅでは電気がなくても、高低差と温度差による対流でナトリウムを循環させて原子炉を冷やす仕組みになっています。にもかかわらず、さる4月20日JAEAは、運転停止中のため実際の訓練ができず、データ解析などによる確認だけで検査を済ませて、すべての電源喪失を想定した訓練を行ったなどとする報告書を経産相に提出しました。

JAEAとその「福島支援本部」の当該業務に、今回の連携協定によって福島大学が参加することは、地元はもとより、地域や地球上の全ての生命体と人類の生存にとってきわめて危険なJAEAの開発業務の一環に参加することです。

核兵器と核エネルギーはダモクレスの剣の2つの刃である。われらは、核兵器の研究と改良によってダモクレスの刃の鋭利なほうを研磨してそれをいっそう危険なものにしている。この剣の鈍い刃もまた、原子炉の拡散と維持によって危険なレベルにまで研磨されつつある。剣をつるす脅威の糸は、少しずつ切り刻まれつつある。なぜなら、核保有国が増加し、インターネットで核兵器製造知識の入手が可能になり、原子炉廃棄物に由来する核兵器物質の入手が可能になり、さらにテロ組織の活動が爆弾取得を念願しているからだ。ダモクレスの剣は日々危険なものになりつつある。
 この言葉は、2011年6月18日日曜日、ポーランドのシュチェチン大学で、国際反核法律家協会(IALANA)会長で、元国際司法裁判所次長であるウィーラマントリー判事がおこなった講演のキーワードであります。翌日、私も出席した国際反核法律家協会(IALANA)総会は、「核兵器と核エネルギーのない世界を緊急に呼びかける」宣言を採択しました。そのなかに、つぎの項目がふくまれております。
5 IALANAは、フクシマの悲劇について日本のメンバーに対して弔意を表明し、日本のメンバーによる核兵器および核エネルギーの全廃の呼びかけを全面的に支持した。
6 IALANAは、核エネルギーの世界規模での廃絶を呼びけることを決定した。われわれに必要なことは、再生可能エネルギーとエネルギー生産の民主化とにむけた完全な転換である。
7 IALANAは、弁護士会と大学、法学生と青年法律家に対してメッセージを送る。
こうした法律家たちの実践の要請に応えて、わたくしも、貴台にこの文書をお届けするものであります。

ウィーラマントリー判事は、大震災発生の3日後、3月14日の時点で、つぎのように世界の環境相にあてて発信しました。
原発の恐るべき帰結は将来世代へ破局的な損害をあたえるだけではない。太陽光その他の再生可能エネルギー源は、世界が必要とするあらゆるエネルギーを供給できるのに、それらを無視することになっている。原子炉の存在がテロリストの標的になっている。原子炉からでる廃棄物の総量は計測不能であるが、これを安全に処理する方法はない。これらのことを知りながら、原発を存続し拡散するのは、信託されたことに違反し続け、子や孫への責任を放棄することになる。道徳と法のいかなる基準に照らしても、正当化できない。現存する国際法、環境法、及び持続的発展に関する国際法の、あらゆる原則に違反する。政府当局者が新しい原発の建設を止めるため直ちに行動しなければ、危険を自覚しつつ将来世代に対する犯罪をおかすことになる。
私は、この見解に賛同しています。そればかりか、次のように考えております。原発の存続と拡散は、現存世代に対しても人道に対する犯罪になると考えます。日本政府と東京電力によって、一般市民である地域住民の人間の尊厳に対する深刻な攻撃がなされ、生活の質を極端におとされるなど、非人道的行為がなされています。そういう意図はないと弁明するかもしれませんが、人道に対する犯罪では、意図に関する要件は問題になりません。

人間の尊厳が攻撃されている点で、原発の生存被曝者がうける苦しみの質はヒロシマ・ナガサキの被爆者のそれと共通するものがあります。しかも、この原発被曝者の数は桁違いに多く、いまなお定かでないほどです。チェルノブイリ事故では、事件発生後25年近く経過して初めて、死者の数はおよそ100万人にちかいという調査結果があきらかになりました。この原発被曝者が発生した地域は、北欧をふくむヨーロッパ全域におよびました。ご承知のとおり、フクシマで、内部被曝を含む低線量被曝が、現場労働者や子どもたち、地域住民の生命、健康と安全に現実的に脅威を及ぼしています。しかも排出放射性物質の悪影響は大気と海洋をふくむ地球環境に及び、生態系の破壊と繋がり人類の生存に関わっております。この認識を人類社会は共有し、脅威を減らす方策を日本政府と東京電力は実施しなければなりません。

原発の存続・拡散は将来世代への犯罪であり、かつ現存世代への人道に対する犯罪であります。この倫理的かつ法的な観点から、JAEA業務に参加することの意味と問題性を根源的に省察すること、このことが緊急かつ重大な課題であると考えるものであります。一般に福島大学役員会および同教育研究評議会は、研究主題と方法の探求・選択について学問の自由を尊重し、そのために教授会の自治をふくむ大学の自治を堅持することが憲法上要請されております。こうした憲法上の権利を侵害される事態に対して教職員は、内部告発行為を含めて正々堂々と批判し抗議し、かつこれがいれられない場合には抵抗権を行使することが必要になります。このことが、人類の歴史的経験に照らして憲法秩序を維持するために必要であると考えるものであります。どうか今回未曾有の危機状況において、学術の府で教育と研究の仕事をなさる専門職業人の組織として、役員会および教育研究評議会がその責務をまっとうされるように心から切望いたします。

以上の考察にもとづいて、事態の緊急かつ重大であることからして、さしあたり、つぎの諸点を提言いたします。

1 今回協定の手続きを中断すること(大学における適正手続の確保)

2 JAEAと福島大学が構想する今回協定の実施計画の、少なくとも骨子を公表すること。しかも今回協定の実施計画が、自主・民主・公開の精神で実施されることを確保する手立てをしめすこと(情報公開の徹底)。

3 本学の教職員集団に対し、今回協定等が、原発の存続・拡散とは無関係であることを確認すること、そのための厳格な判断基準を示し、今回協定等について疑義が生じないよう説明をつくすこと(今回協定実施の犯罪性の回避)。(終)

Tuesday, July 19, 2011

田中利幸のティルマン・ラフ批判-ウラン採掘問題について

このサイトにも度々論文を寄稿している、広島市立大学平和研究所教授の田中利幸さんがメールで共有してくれた意見を掲載します。ここで田中氏が批判しているティルマン・ラフ氏は核兵器廃絶国際キャンペーン代表、オーストラリア・メルボルン大学ノッサル国際医療研究所準教授。「子ども20ミリシーベルト」問題では積極的に発言しており、このサイトでも共同新聞寄稿論説の和訳「福島の子どもたちを守らねばならない」を紹介しており、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)からの高木文相への手紙(5月5日「福島の子どもたちの被曝許容量は有害であり、保護義務を放棄している」)にも共同署名している、国際的に知られた反核医師です。ウランは、三大産出国のカナダ、カザフスタン、オーストラリアがそれぞれ約20%、つまり三か国で全世界の60%を産出しています。ウラン採掘問題についてのラフ氏の態度の矛盾を指摘する田中氏の主張からは、ラフ氏だけではなく、人間の安全よりも自国の産業の利益を優先する政治家や有識者全体に対する監視の目を持たなければいけないというメッセージを受け取ります。

★★★

田中利幸です。

朝日新聞社が主催する国際シンポ「核兵器廃絶への道」(7月31日、於広島。下記参照)に、オーストラリアの ICAN代表、ティルマン・ラフがパネリストとして参加します。

ティルマンは数年前までは、はっきりと「ウラン採掘反対」を表明していました。しかし、労働党政権になってから、彼の公の場でのウラン問題に関する意見表明は変化しました。今年5月に彼が共同通信に送った福島原発事故による放射能問題に関する短いコメントの中でも、ウラン採掘については "to be very tightly restricted, and extraction of plutonium from spent nuclear fuel to cease" (厳しく制限すべきで、使用済み核燃料からのプルトニウム抽出は停止すべきである)と書いています。「厳しく制限すべき」で、「即時停止すべき」とは言っていません。

ウラン採掘をいったいどうやって「厳しく制限」できるというのでしょうか?これは言葉の遊びにしか私には思えません。「制限」したところで、輸出されたウランの使い方に、オーストラリアやカナダなどの輸出国は、なんらの制限力も持っていません。こんなことはティルマン自身にもはっきり分かっているはずです。それを敢えて言う彼の真意はどこにあるのでしょうか。目的を達するためには政治的妥協が必要だと、おそらく彼は答えるでしょう。しかし、この種の政治的妥協で利益を得るのは権力をもっている政治家と企業であり、妥協したほうは、政治的に利用されるだけです。この類いの失敗をした人間は世界中でわんさといます!

また、今月初めに、元豪州首相、マルカム・フレイザーが出した声明も、基本的に同じラインに沿って書かれています。それも全く不思議ではありません。なぜなら、これもオーストラリアでは周知のことですが、フレイザーの覆面ライターはティルマンだからです。
http://www.icanw.org/node/5698

確かに、元自由党の党首であり、現役時代には米国べったりの政策をとっていた人物がここまで思想変化し、ティルマンをアドバイザーとして使うこと自体はすばらしい変化だと思います。しかし、福島原発事故の直後にメルボルンで私がフレイザー氏とある晩餐会で顔を会わせたときも、彼は、「日本の原子力技術は世界最高レベルで、事故が起きたのは大地震と大ツナミという予期しない天災のために引き起こされた不幸なできごとだ」と繰り返し述べていました。私は「天災ではなく、人災である」と一度だけ反論しておきましたが、あとは議論してもムダだと思い、それ以上は何も言いませんでした。本当は、「あなたが首相時代に推進した日本へのウラン輸出のせいで、今の福島原発問題もあるのですよ」と言いたかったのですが.......。

ティルマンが代表を務める ICAN のウエッブサイトは数年前までは、ウラン採掘反対をはっきりと全面に出していました。しかし、今は、これもありません。http://www.icanw.org/

ひじょうに残念なことです。

みなさんシンポを聴講されるようでしたら、ウラン問題について彼が何を言うのか、あるいは言わないのか、どうか、よく注意して聴いて下さい。そして、間違っていることには、はっきりと「間違っている」と声を上げましょう。

★★★

以下朝日新聞サイトより、シンポジウムの案内。
http://www.asahi.com/shimbun/sympo/release/110702.html 

朝日新聞シンポジウム核兵器廃絶への道、31日広島でシンポ ~いま、何を問いかけるか

 東日本大震災に伴う原発事故で、核エネルギーのあり方が国際的に問われています。そのなかで、核兵器の廃絶に向けた道筋をどのように模索するべきなのでしょうか。朝日新聞社は国際平和シンポジウム「核兵器廃絶への道~いま、市民社会から何を問いかけるか」を広島市、広島平和文化センターと主催します。後援は長崎市、長崎平和推進協会、広島ホームテレビ、長崎文化放送です。

 ◇7月31日(日)午後1~5時、広島国際会議場(広島市中区中島町の平和記念公園内)

 ◇ギタリスト・BunKenさん/「イマジン」など演奏▽特別スピーチ/オノ・ヨーコさん▽被爆者証言/「ひろしま音読の会」による朗読▽パネル討論=ジョージ・パーコビッチ、ティルマン・ラフ、水本和実、目加田説子の各氏

 ◇450人、無料。はがきかFAX、メールに郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号を書き、〒530・8211(住所不要)朝日新聞関西スクエア・平和シンポ係(FAX06・6443・4431、メールsq-sybox@asahi.com)。7月19日(火)必着。聴講券を送ります(応募多数の場合抽選)。

    *

 ◆オノ・ヨーコ
 前衛美術家。1960年代後半から、故ジョン・レノン氏とともに平和運動を展開。今年度ヒロシマ賞受賞。78歳。

 ◆ジョージ・パーコビッチ(米国)
 カーネギー国際平和財団副理事長。オバマ政権の核政策に詳しい。外交問題タスクフォース委員。52歳。

 ◆ティルマン・ラフ(豪州)
 核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)代表。医師の立場から核戦争防止の国際運動に尽力。56歳。

 ◆水本和実(みずもと・かずみ)
 広島市立大学広島平和研究所副所長(教授)。元朝日新聞記者。98年同研究所に。核軍縮専攻。54歳。

 ◆目加田説子(めかた・もとこ)
 中央大学総合政策学部教授。97年から地雷廃絶日本キャンペーン(JCBL)理事。NPOを研究。

Friday, July 15, 2011

「米国にまで広がったプルトニウム」クリス・バズビー博士インタビュー in 『週刊金曜日』 An Interview with Dr. Chris Busby in Shukan Kin'yobi

For an English (extended) version of this article, see "Fukushima is Worse than Chernobyl – on Global Contamination" on the Asia-Pacific Journal: Japan Focus (Chris Busby, interview by Norimatsu Satoko and Narusawa Muneo). It was re-posted at Z-net too. See LINK.

『週刊金曜日』7月8日号に掲載された、クリス・バズビー博士インタビュー記事「米国まで広がったプルトニウム」を紹介します。『金曜日』編集部の成澤宗男さんと、当ブログ管理人の乗松聡子が共同で行い、まとめたインタビューです。この記事の英語版「フクシマはチェルノブイリよりも深刻だ-地球汚染について」は『アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス』 The Asia-Pacific Journal: Japan Focus に発表されました。(7月20日追記。ゼット・ネット Z-net にも転載されました。)(7月24日追記。この英語記事の導入文の、Michiko さんによる和訳を下方に追加掲載します。また、クリス・バズビーさんのこの記事でのガン予測のもとになっている3月30日の論文の全和訳をこの投稿で発表しています。)


(記事はクリックすると大きく見られます)


以下、『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』に掲載されたこのインタビューの導入文の和訳を掲載します。(翻訳: Michiko)

はじめに

化学物理学者のクリス・バズビー氏は、日本政府が福島第一原発事故被害者の放射線許容量を決める際に使ったICRP(国際放射線防護委員会)の放射線リスクモデルを批判する科学者たちの最先頭に立つ。欧州放射線リスク委員会(ECRR) 科学事務局長であるバズビー氏によれば、ICRPモデルの問題点は次のことにある。ICRPモデルはあらゆる被曝の仕方を同じように、あたかも外部被曝であるかのように扱う。そうして求めた被曝線量に、広島・長崎の原爆生存者が受けた急性の大量外部被曝量を基にして決めたリスク因子を掛け合わせる。このように、ICRPモデルは、体内に入ったある種の放射性核種が、細胞内の決定的な標的(critical targets)、特に細胞のDNAに非常に高い放射線量を浴びせる可能性が幾通りもあるということを考慮に入れていない。その可能性のひとつが、 「鼻や口から体内に入ったホット・パーティクル」によるもので、「それは非常に微小な粒子で、細胞組織の中に入りこんでその細胞に多量の放射線を浴びせることもありうる。」 その結果、内部被曝は、ICRPモデルによる推定より千倍近く危険である可能性がある。内部被曝も勘案するECRRモデルを使ったバズビー氏の試算によると、福岡第一の100キロメートル圏内に住む330万人が一年間留まると仮定して、50年以内に約20万の超過ガンが発生するだろう。そして、そのうちの半数は10年以内に発症するだろう。さらに、バズビー氏の試算では、100キロから200キロ圏内に住む790万人のうち、50年以内に22万以上の超過ガンが発生し、そのうち半数がこれも10年以内にガンと診断されるだろうとしている。これに比べ、ICRPモデルでは、100キロメートル圏内では2,838(人)のがん(患者)が増えると推定する。「結果としての実際のガン患者数が、二つのリスクモデルのどちらが正しいかのひとつのテストになる」と、バズビー氏は主張し、チェルノブイリについての多くの研究がICRPモデルの予測よりずっと多いがん発症数を示していると指摘する。

さらに、チェルノブイリ事故の影響は半径200キロ圏にとどまらない。日本では、福島第一の近くで「微量のプルトニウム」が検出されたという報告がある。これは驚くにあたらない。なぜなら、3.11の地震と津波の後、米国環境庁が、ハワイ、グアム、アラスカ、そして西海岸で尋常でない量のプルトニウムとウラニウムを検出したからだ。CTBTO(包括的核実験禁止条約機関)によると、福島事故の2週間以内に放射性物質が北半球全体に拡散され、4月半ばまでには南半球にまで達した。日本のメディアがこの問題について沈黙を守るなか、『週間金曜日』は地球規模の放射線汚染についてクリス・バズビー氏にインタビューを行った。以下は、そのインタビューの英語のテキスト全文である。同時に、日本語版が『週間金曜日』(7月8日号)に掲載された。

乗松聡子

英語原文は:
"Fukushima is Worse Than Chenobyl - on Global Contamination" Interview by Norimatsu Satoko and Narusawa Muneo

Thursday, July 14, 2011

政府によるブログ、ツイッター監視仕様書

ジャーナリスト岩上安身氏のツイッターでこれを知りました。

「いよいよ、エネ庁のホームページで、Twitterの監視が明記されました。経産省資源エネルギー庁が不適切なツイッター・ブログ監視業務の入札募集中、下の方の「仕様書」に注目 http://t.co/ktMctVu” 仕様書 http://bit.ly/oiCtFx (7月14日)

後世に残すためにもこの仕様書は下方に掲載しました。4月27日にも、ネット情報を「流言飛語」扱いした総務省の通達をアップしました。

ブログやツイッターに「不正確」な情報があるのは確かです。それはどんな媒体にも当てはまります。監視対象は、ブログやツイッターだけでなく、何よりも、政府自身が発する情報、大メディアが発する情報にも向けられなければいけないと思います。この4カ月、政府や大メディアが隠してきた、操作してきた、不正確に伝えてきた情報を読みとき、政府や大メディアの発表や報道だけではわからなかった情報を伝えてきた幾万のツイッター、ブログたちの社会的貢献は測り知れないです。ネットメディアのみをターゲットにした検閲、監視行為を許してはいけません。

この件についてネットで活躍する言論者たちからの声が上がっています。

「資源エネルギー庁の不適切ネット監視業務の入札は本日7月15日に経産省内で開札だそうです。奴らが金と権力をもって市民を監視するというなら市民は100万倍の目をもって奴らを監視しよう!命を守る施策に予算を使わせましょう http://t.co/dKAptyP (ブログ「中鬼と大鬼のふたりごと」の中鬼さんのツイッター

「エネ庁ネット監視の事業仕様書( http://bit.ly/m8VCLn )に、「不正確・不適切な情報」の定義なし。取り締まりではないにせよ、定義曖昧な事象を対象にした当局の監視はいかがなものか。「風評被害」の定義もないが、情報隠しによる被害拡大を招いた当事者は誰なのか。」(森原秀樹さんツイッター

「いったいこの国の原子力推進・保護者たちは、放射能汚染で日本人(とくに子どもたち)の命やquality of lifeがそこなわれつつあるこの事態に、何を考えているのでしょうか?自分たちの利権を守り続けるためかな?」(ブログツイッターで活躍するきくちゆみさんのメールより)
不正確・デタラメ極まりない情報を湯水のごとく垂れ流す政府と東電、御用学者どもと御用マスコミを保護するために、インターネットメディアによる事実の伝達と拡散を許すまいとする魂胆は丸見えでしょう。先日国会を通過したコンピューター監視法案に続いて、もっと直接的に、放射能と原発に関する情報に対する監視体制が作られようとしています。こうでもしないと、虚構と似非科学に支えられた利権構造を保護することができないのでしょうが、ファシズムは着実にその扉を開けつつあるようです。(スペインから発信を続ける童子丸開さんのメールより)
「ネットで活躍する」と書きましたが、皆さんネットだけで活躍しているわけではありません。市民運動、学術研究、講演活動、ネットや紙媒体で幅広く活躍している人たちばかりです。「流言飛語」通達のときも、政府は通信会社に通達するなら、日本最大のフォロアー数を誇る孫正義氏はまず自分自身のツイッターを取り締まらなければいけなくなるな、と笑いました。市民も政治家も学者も紙媒体も、ブログやツイッターやフェースブックを駆使して発信している今、ネット言論者だけを取り出して異様な生き物のような扱いをすること自体が時代錯誤としか言えないでしょう。

エネルギー庁のサイトに掲載されている「仕様書」は以下です。
http://www.enecho.meti.go.jp/info/tender/tenddata/1106/110624b/3.pdf 



Tuesday, July 12, 2011

「見えないものと格闘する ~試行錯誤の除染~」伊藤夏子の福島報告II Fukushima Report by Natsuko Ito II

5月末に福島市を訪ね、保育所の汚染状況や、地元の人たちと行政側との交渉を報告したエッセイ「見えないものが人々を分断している」を投稿してくれた伊藤夏子さんが、福島市に戻り、除染活動に参加しました。


見えないものと格闘する ~試行錯誤の除染~

伊藤夏子

7月2日から一泊二日で福島市を再び訪ねた。2日は、県主導の小学校通学路の除染に参加した。
3日は、5月末に訪問した市内の保育所で除染を行った。

5月31日、放射能の低減を求める父母たちに対し福島県災害対策本部原子力班が示した対策は、校庭の空間線量の「モニタリング」および線量が高い校庭の表土除去だけであった。

しかし、この時の父母の訴えが職員の心に響いたのであろう。県原子力班は6月下旬、通学路を含む学校周辺の除染に着手した。

第一小学校に集合した参加者

7月2日、県庁の真向かいにある市立第一小学校周辺の除染が行われた。

朝9時、学校に集合したのは日本原子力研究開発機構や電気事業連合会などの関係者、地元建設業者、ボランティアの総勢約40名。皆、肌の露出を避け、長靴を履いていた。マスクと手袋(使い捨ての布手袋の上にゴム手袋を装着)は支給された。

手順は次の通りであった。

測定器はガンマ線専用のAloka TCS-172

① 除染前の地上50センチの空間線量を調べるため、乳母車に測定器を乗せて通学路の真ん中を測定する。

② 手持ちの測定器で線量の高そうな場所を測定し、高ければ緑のガムテープで印をつける。

③ 通学路の両脇の落ち葉を集める。草を刈る。苔や雑草はできれば取り除く。これらは全てごみ袋に入れる。

④ 通学路を高圧水で洗浄する。        
                                                     
⑤ 地面が乾いたところで、再び乳母車を押して測定する。


以下、私の感想である。

手順②について。くまなく調べていない為、線量の高い場所が多数残っていると思われる。
表面汚染については、ガンマ線だけでなくベータ線も計測すると高線量の場所がピンポイントで把握できるのだが、測定器はガンマ線専用であった。

落ち葉を集め 草をむしる
手順③について。落ち葉などに付着していた放射性物質は通学路から減ったはずである。集めたものは市の処分場で焼却するという。焼却して問題ないのか職員に尋ねると、ダイオキシンも除去できるバグフィルターが装着され、ダストサンプリングからも放射能は検出されていないので大丈夫との返答だった。本当に大丈夫なのだろうか。
また、線量の高い落ち葉などは集めるとさらに線量が高くなる。除染作業中の被曝も心配である。

手順④について。第一小学校校庭前の歩道は側溝がないため、水で高圧洗浄しても流し込めず、放射性物質を周囲にまき散らすだけである。この点を指摘すると、承知しているがひとまず歩道の真ん中にある放射能を両脇に追いやるとの返答だった。 

炎天下を皆、黙々と作業した。県原子力班の若手職員は熱心であった。何とかしたいと思っていることがヒシヒシ伝わってくる。予算はどこにもないため、住民向けに除染方法をマニュアル化し、県全体に広めたいという。課題は多いが何もしない訳にはいかないという。原子力研究開発機構などの知見も求めており、今回の結果を分析後、次の手を考えるとのことであった。

終了後の測定では、松葉と枯葉を集め、草を刈った地点の歩道が0.92μSv/h (地上50cm)だった。
それ以外の歩道は、ほぼ1.3~1.7μSv/h。当日の除染前のデータは確認できなかった。
1週間前の測定ではどこも2~3μSv/hあったという。詳しい結果は、県のホームページに公表される。

住宅地の小さな保育所 (手前)

7月3日は市内の保育所の除染に参加した。

この保育所は筆者と測定士が5月末に訪問した後、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」に細かい測定を依頼し、玄関マットの交換、草むしり、雨どい補修など、身の周りから放射能を減らす対策を行っていた。

建物は木造で園庭も狭いことから、除染の効果がどの程度出るかは不明であった。屋根に積もった放射性物質の影響で、室内は天井に近づくほど線量が高い。しかし、年季の入った屋根瓦は除染の効果が期待できず手を付けなかった。砂場は砂の持っていき場がないため、引き続きブルーシートを被せておくことにした。

雨樋の先は線量が高かったため
樋を側溝まで延長した




この保育所では3月11日以降、子どもたちを外に出していない。

保育所は経営が厳しくなっていたところに放射能に見舞われ、7月末で閉鎖を決めた。それでも出来ることはしようと除染に踏み切った。除染といっても、線量の高い場所をとにかく水で洗い流すのである。
参加者は園長夫妻と保育士、調理師、筆者の5人。
頭からのつなぎにゴーグル、マスク、長靴、ゴム手袋を着用した。装備は園長先生が自費で用意してくれていた。

つなぎの中は蒸し風呂のようで、東京電力福島第一原発の作業員の苦労を思わずにはいられなかった。


約2時間の作業後、明らかに線量が低下したのは横に渡した雨樋とトタン屋根を洗浄した内側の室内であった。除染前と比べ0.1μSv/h弱、下がった。
(それでも高さ50cmで0.5μSv/h以上あるため、この部屋は使用していない)。
玄関は水で濡らした新聞紙をちぎって撒き、掃き集めた結果、0.15μSv/h程度下がった。 
トタン屋根を洗浄


敷地外の舗装道路の線量が高く、除染前は地上50cmで3.55μSv/h。地表でベータ線も拾うと13.47μSv/hあった。高圧水をあててデッキブラシで擦ったが、アスファルトは場所によって線量にムラがあり、除染の成果を知るのが難しい。乾いた後の測定では地上50cmが2.35μSv/hだった。地表は5~10 μSv/hであった。

アスファルトや山から飛んでくるガンマ線のため、木造家屋の室内の線量を下げるには限界がある。保育士は、2リットルのペットボトルに水を入れて並べ、室内に入るガンマ線を減らしていると話していた。

終了後は全員、晴れ晴れした表情だった。
放射能の存在を知ってしまった以上、腹を据えてこれと向き合うしかないのだと思う。

玄関は濡らした新聞紙で掃除
後日、園長先生から室内の線量がさらに下がったと連絡をもらった。
除染当日は放射性物質が空気中に舞ってしまっていたのだろうか。
できる限り注意したつもりだが、そもそも除染のプロがすべき作業なのである。

福島原発で作られる電気は首都圏に送られていた。福島の人たち、福島の子どもたちが何故放射能を浴びせられ、被曝しながら後始末までしなければならないのか。

宇宙人のような恰好で園長先生たちと除染したこの日ことを
私は決して忘れない。


付記
放射性物質が付着した落ち葉などの焼却処分について県原子力班に再度問い合わせたところ、専門家などからも懸念の声があがっており、現在検討中との返答であった。

「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」除染班では、正式な処分方法が決まるまで集めた落ち葉や苔などは土に埋め、埋蔵場所に目印をつけておくようアドバイスしている。


伊藤夏子(いとう・なつこ) 埼玉県在住。フリーランスのテレビドキュメンタリー番組リサーチャー。